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「高等商業学校〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

高等商業学校の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
硝子戸の中」より 著者:夏目漱石
当時二番目と三番目の兄は、まだ南校《なんこう》へ通っていた。南校というのは今の高等商業学校の位置にあって、そこを卒業すると、開成学校すなわち今日《こんにち》の....
三四郎」より 著者:夏目漱石
ない。実をいうと三四郎はかの平野家行き以来とんだ失敗をしている。神田《かんだ》の高等商業学校へ行くつもりで、本郷四丁目から乗ったところが、乗り越して九段《くだん....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
試験を受けに来たのである。藤村は幸に合格したが、後に露語科が廃せられてから、東京高等商業学校に入ってその業を卒え、現に某々会社の重役になっている。 松本町の家....
自由画稿」より 著者:寺田寅彦
ないと思われる。 (「螢光板」への追記) 前項「灸治」について高松《たかまつ》高等商業学校の大泉行雄《おおいずみゆきお》氏から書信で、九州|福岡《ふくおか》の....
私の経過した学生時代」より 著者:夏目漱石
位を得ている者が少くない。一寸《ちょっと》例を挙《あ》げて言って見ると、前の長崎高等商業学校長をしていた隈本《くまもと》有尚、故人の日高真実、実業家の植村俊平、....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
り四十余年前、早稲田の学校で少しばかり経済学を学びました。その時の講師で後に東京高等商業学校の校長になられた松崎蔵之介先生のお話に「当時独逸は英国に較べて非常に....
読書遍歴」より 著者:三木清
なったのはその時以来のことである。当時そうした本で最も印象に残っているのは、小樽高等商業学校の教授で、その才を惜しまれつつ若くして亡くなった大西猪之介氏の『囚わ....
西航日録」より 著者:井上円了
。三十日休息し、三十一日、ビクトリア公園および博物館を一見す。当夜、この地にある高等商業学校の同窓会に出席す。 明治三十六年一月一日、間島氏の宅にて元旦の雑煮....