高輪[語句情報] » 高輪

「高輪〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

高輪の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
んで一本松から鳥居坂、六本木、竜土の辺を焼き尽して、芝の三田から二本榎、伊皿子、高輪《たかなわ》まで燃えぬけて、夜の戌《いぬ》の刻(午後八時)を過ぎる頃にようよ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
りで参詣にゆく約束をして、たがいに誘い歩いているのは面倒であるから、七ツ半までに高輪《たかなわ》の大木戸へ行って待ちあわせるということになっていたのである。その....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
れて、早朝から本門寺|界隈を検分に出た。やがてもう五ツ(午前八時)に近いころに、高輪の海辺へさしかかると、葭簀張りの茶店に腰をかけて、麻裏草履を草鞋に穿きかえて....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
分の松吉をつれて朝の六ツ半(午前七時)頃に神田三河町の家を出た。ほかの子分たちも高輪まで送って来た。この頃は毎日の晴天つづきで、綿入れの旅はもう暖か過ぎるくらい....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
らないと見て、居あわせた人達もあとから追って出たが、もう遅かった。大通りの向うは高輪の海である。あれあれといううちに、女房のうしろ姿は岸から消えてしまった。 ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
彼ひとりを先に帰すわけにも行かないので、結局四人が連れ立って出ることになった。高輪の海岸にさしかかったのは夜の五ツ(午後八時)を過ぎた頃で、暗い海に漁船の篝火....
売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
、最近留学して帰朝した秦宗吉氏である。 辺幅を修めない、質素な人の、住居が芝の高輪にあるので、毎日病院へ通うのに、この院線を使って、お茶の水で下車して、あれか....
探偵夜話」より 著者:岡本綺堂
りました。」 穴 Y君は語る。 明治十年、西南戦争の頃には、わたしの家は芝の高輪にあった。わたしの家といったところで、わたしはまだ生まれたばかりの赤ん坊であ....
経帷子の秘密」より 著者:岡本綺堂
もしそうならば、かれもおどろいて引っ返して来るであろう。近江屋は芝の田町で、高輪に近いところであるから、ここからも遠くはない。そこで文次郎は迷惑な忘れ物をか....
月の夜がたり」より 著者:岡本綺堂
ほどに驚いて、早々に再びそこを逃げ出した。 彼はそれから芝の愛宕山へのぼった。高輪の海岸へ行った。しかも行く先々の人ごみのなかに、きっとそのばあさんが立ってい....
」より 著者:岡本綺堂
、鯨はあとから引取りに来ることに約束を決めて、若い者ひとりと共に帰って来る途中、高輪の海辺の茶屋の前へさしかかると、そこに友蔵兄弟が待っていて、由兵衛に因縁をつ....
」より 著者:岡本綺堂
一 Y君は語る。 明治十年、西南戦争の頃には、わたしの家は芝の高輪にあった。わたしの家といったところで、わたしはまだ生まれたばかりの赤ん坊であ....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
みは非常のものにして、彼等の言を聞けば、政府にて決答を躊躇するときは軍艦より先ず高輪の薩州邸を砲撃し、更らに浜御殿を占領して此処より大城に向て砲火を開き、江戸市....
父の怪談」より 著者:岡本綺堂
父は語った。 その翌々年の文久三年の七月、夜の四つ頃(午後十時)にわたしの父が高輪の海ばたを通った。父は品川から芝の方面へむかって来たのである。月のない暗い夜....
一日一筆」より 著者:岡本綺堂
の葉が散る。(明治四十四年九月) 三 品川の台場 陰った寒い日、私は高輪の海岸に立って、灰色の空と真黒の海を眺めた。明治座一月興行の二番目を目下起稿....