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高齢
「高齢〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
高齢の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「青春の逆説」より 著者:織田作之助
い聴かせていたのだった。豹一は千日前へ遊びに行った。楽天地の地下室で、八十二歳の
高齢で死んだという讃岐国某尼寺のミイラが陳列されていた。「女性の特徴たる乳房その....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
。 鈴木貫太郎海軍大将は、枢府議長の任にあったが、今度大命を拝した。七十八歳の
高齢と聞くが、日本の国はどうしてこう年寄の御厄介にならないとたっていけないと、重....
「雛妓」より 著者:岡本かの子
ヶ日と過ぐるにつれ、薄らぐともなく歎きは薄らいで行った。何といっても七十二という
高齢は、訣れを諦め易くしたし、それと、生前、わたくしが多少なりとも世間に現してい....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
るそうです。年を取っても不思議に息のつゞく人でしたが、三年まえに七十幾歳とかいう
高齢で死にました。この人に子はありましたが、歯が悪くて貝の役は勤められず、若いと....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
てしまう。そして、その瞬後扉に衝突して、自分が束を握った刃が心臓を貫く。つまり、
高齢で歩行の遅い博士に、敷物に波を作りながら音響を立てずして追い付ける速力と、そ....
「土俗玩具の話」より 著者:淡島寒月
馬として同地方に伝わったものである。日向の鶉車というのは朝鮮の一帰化人が一百歳の
高齢に達した喜びを現わすために作ったのが、多少変形して今日に伝ったのである。米沢....
「雨」より 著者:織田作之助
ははじめて豹一を好きになる気持を自分に許した。 一週間経ったある日、八十二歳の
高齢で死んだという讃岐国某尼寺の尼僧のミイラが千日前楽天地の地下室で見世物に出さ....
「勝負師」より 著者:織田作之助
胸がふさがってならなかった。故人となってしまった人というならまだしも、七十五歳の
高齢とはいえ今なお安らかな余生を送っている人を、その人と一面識もない私が六年前の....
「三人の師」より 著者:上村松園
うである。 晩年はほとんど湯河原温泉にお住みになっていられたが、七十九歳という
高齢でおなくなりになられるまで写生はなされたと聞いている。 私などの縮図やスケ....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
。これはイタリーで催されたものでございました。 母は一昨年(昭和十年)八十六の
高齢で亡くなりましたが、七十九歳で脳溢血に倒れるまでは、医者にかかったことがなか....
「健康と仕事」より 著者:上村松園
う。 働く必要が母に健康をあたえてくれたとでも言うのであろう。 母は八十歳の
高齢ではじめて床に就き医者をよんだのであるが、その時、脈らしい脈をとって貰ったの....
「今日になるまで」より 著者:上村松園
反省する事が大事で、そこに進歩があります。 私の母は昭和九年の二月、八十六歳の
高齢で歿しました。今では、門人が写してくれた大きな写真を仏間にかけて、旅に出ると....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
は随一の和事師と称せらる。 ○三月二日、二代目尾上多見蔵、大阪に死す。八十八歳の
高齢にて、大阪劇壇の重鎮と仰がれいたるなり。 ○五月、新富座にて「夢物語盧生容画....
「雨」より 著者:織田作之助
を自分に許した。 そして一週間経ったある日、千日前楽天地の地下室で、八十二才の
高齢で死んだという讃岐国某尼寺の尼僧のミイラが女性の特徴たる乳房ならびに性器の痕....
「恐怖の幻兵団員」より 著者:大倉燁子
ながら感心するほど目ざましいものであった。 松岡旧伯爵は危篤を伝えられながら、
高齢にも似合わず、不思議な生命力があって、臨終にはまだ間がありそうだ、と、主治医....