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髦
「髦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
髦の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
何十匁とか何百匁とかあって衛生上害があるという理由で束髪が行われ初め、前髪も鬢も
髦も引詰めて小さく結んで南京玉の網を被せたのが一番のハイカラであった。 二十五....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
当時は特に留意せなんだが、ほどなく老人死した後考うるに、駱《らく》和名川原毛黒い
髦《たてがみ》の白馬だというから、不毛に当らず。川原は砂礫《されき》多く草少なき....
「明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
らりと肩ぐらいで切っている事もあった。彼女が米八の昔は、時の人からたった二人の俊
髦《しゅんもう》として許された男――末松謙澄《すえまつけんちょう》と光明寺三郎《....
「柳原燁子(白蓮)」より 著者:長谷川時雨
でさえ、ダンス熱に夢中になって、山県の槍《やり》踊りの名さえ残した時代、上流の俊
髦《しゅんぼう》前光卿は沐猴《もくこう》の冠《かん》したのは違う大宮人《おおみや....
「少年連盟」より 著者:佐藤紅緑
重熟慮、ドノバン君の勇邁不屈、その他諸君の沈毅にして明知なる、じつに前代未聞の俊
髦であります。とくに歓喜にたえざるは、十五少年諸君が心を一にして一糸みだれず、す....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
下の才俊を率いて早稲田に威武を張り、樗牛は新たに起って旗幟を振い、四方の英才|俊
髦一時に崛起して雄を競うていた。二葉亭は『浮雲』以後全く韜晦してこの文壇の気運を....