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「魚津〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

魚津の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
成政、前田又左衛門利家、佐久間|玄蕃允盛政、及び養子伊賀守勝豊以下を率いて、越中魚津に在陣中であった。本能寺の変が報ぜられたのは、同月四日の夜に入ってからである....
爆弾太平記」より 著者:夢野久作
そのほか四五月頃の巨文島、五、六、七月頃の巨済島入佐村、九、十、十一月の釜山、方魚津、甘浦、九龍浦、浦項、元山方面へ行って御覧なさい。先生のように爆薬漁業を不正....
十二支考」より 著者:南方熊楠
ぐぶ》す、その指した所に社を立てた。飛騨宕井戸村山王宮は田畑の神らしい。毎年越中魚津村山王より一両度常のより大きく薄白毛の猴舟津町藤橋を渡りてここへ使に参る(『....
湯女の魂」より 著者:泉鏡花
かり、ちょっと繁昌な町があります。伏木から汽船に乗りますと、富山の岩瀬、四日市、魚津、泊となって、それから糸魚川、関、親不知、五智を通って、直江津へ出るのであり....
取舵」より 著者:泉鏡花
じ枕に倒して、時々|南無仏、南無仏と小声に唱名せり。 抜錨後二時間にして、船は魚津に着きぬ。こは富山県の良港にて、運輸の要地なれば、観音丸は貨物を積まむために....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
たのでしょう。けれども、汽車は、越前の三国、敦賀。能登の富来、輪島。越中の氷見、魚津。佐渡。また越後の糸魚川、能生、直江津――そのどこへ売られたのか、捜しようが....
黒部川奥の山旅」より 著者:木暮理太郎
大正四年七月二十四日午後七時三十分、汽車にて上野発。翌朝九時二十分、魚津着。少許の準備と昼食の後十一時三十分、出立。暑さ甚し。途中|屡々休憩して、午....