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鴆
「鴆〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鴆の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
れから、第二は毒の出所――。思うに、回りの猛烈であるところから判断すると、必ずや
鴆毒《ちんどく》にちがいないので、
鴆毒ならば南蛮渡来の品だから、容易にその出所を....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
ましょう! やっぱり毒でも仕掛けてあったようにござりましたな」 「左様。まさしく
鴆毒《ちんどく》じゃ」 「えッ。では、あの怪しい男め、お殿様のお命を縮め奉ろうと....
「鉄鎚」より 著者:夢野久作
う六《むつ》ヶしい名前の石と一緒に煮詰めた昔から在る毒薬で、支那人が大切にする『
鴆《ちん》の羽根』と『猫の頭』と『虎の肝臓《きも》』と『狼の涎《よだれ》』という....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
にありました話で、只今なればモルヒネなどという劇剤もありますが、其の時分には何か
鴆毒とか、或は舶来の※石ぐらいのところが、毒の劇しいところです。彼の松蔭大藏は智....
「浮雲」より 著者:二葉亭四迷
な事に頓着無い。只|己《おの》れに逆らッてみたい、己れの望まない事をして見たい。
鴆毒《ちんどく》? 持ッて来い。甞《な》めてこの一生をむちゃくちゃにして見せよう....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
師の臨終を悲しみながらも、またその人格の偉大なるに驚嘆していた。 ソクラテスは
鴆毒《ちんどく》を嚥《の》み了《おわ》った後《の》ち、暫時の間は、彼方此方《あち....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
などの病で終ったのだろう。南禅寺霊三和尚の慶長二年の氏郷像賛に「可惜談笑中窃置|
鴆毒《ちんどく》」の句が有ったとしても、それは蒲生の家臣の池田和泉守が氏郷の死を....
「沙漠の古都」より 著者:国枝史郎
という望蜀の念に攻められて安穏の日とては一日もない。そして私には敵がある。兇刃、
鴆毒、拳銃の類が四方八方から取り巻いている。そして私には死んだ人々の怨霊が日夜憑....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
賊の智恵ではない。馬琴はとかくに忠孝の講釈をするので道学先生視されて、小説を忌む
鴆毒に等しい文芸憎悪者にも馬琴だけは除外例になって感服されてるが、いずくんぞ知ら....
「鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
の徳命観梅の日でござった。義伝公の梅見の酒へ毒を盛りました。それは世にも恐ろしい
鴆毒、さすがの豪傑も濠の石橋まで馬を返して斃れました。徳川家より嫁いできたその奥....
「三国志」より 著者:吉川英治
て、その腹にも皇子の協が生れた。 何后は、それを知って、大いに嫉妬し、ひそかに
鴆毒を盛って、王美人を殺してしまった。そして、生さぬ仲の皇子協を、霊帝のおっ母さ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
も別れの惜しみもないようにその手を憮然と胸に拱んでしまった。ゆうべ信濃をして弟に
鴆毒をのませたのは兄の自分である。責められるだけ責められよう。尊氏は首をふかく垂....