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鷹野
「鷹野〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鷹野の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
も、大御番組のご家人さまなんだから、だんなを前に説法するようだが、お将軍さまがお
鷹野《たかの》や、ゆうべのように外出あそばさるときに、お徒歩《かち》でお守り申し....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
たかしょう》だったのですが、お鷹匠といえばご存じのとおり、鷹を使って、将軍家がお
鷹野へおこしになられたみぎり鷹先を勤める役目ですから、慣らした鷹にとらせるための....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ときよりも寒いときのほうがいくらか殺伐になるとみえて、必ず十一月になると、このお
鷹野の仰せいだしがあるから奇妙です。 そこで、このときも二十六日に、尾久《おぐ....
「笑う唖女」より 著者:夢野久作
上に左手を投げかけると、もうスヤスヤと寝息を立てていた。 嘗《かつ》て殿様のお
鷹野《たかの》の時に、御休息所になったという十畳の離座敷《はなれざしき》は、障子....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
なしである。 十六七までは別に遊びはしなかったが、ただ、朝夕馬を馳けさせたり、
鷹野を催したり、春から秋にかけて川に飛び込んだりして日を暮して居た。しかし朋友を....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
五人の賭博者を捕えて、五人共に同じ場所に梟首《きょうしゅ》してあったのを、家康が
鷹野に出た途上でこれを見て、帰城の後刑吏を召して、「首を獄門に掛けさらすは、畢竟....
「細木香以」より 著者:森鴎外
。 父は千住の大きい家を畳んで、崖の上の小家に越して来た。千住の家は徳川将軍が
鷹野に出る時、小休所にしたと云う岡田氏の家で、これにほとんど小さい病院のような設....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
こんな風で聊かでも儀式張った時は、家の中においても小刀は帯びていた。また貴人でも
鷹野等に出る時は、君臣共に小刀のみである。これは今でも芝居などで誰も見ている事で....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
与吉は苦しいのを我慢して無言のまま、先に立って今度は水戸街道を加島、原町、小高、
鷹野、中津、久満川、富岡……。
ここから木戸まで二里の上《のぼ》りにかかる。
....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
して、両手を広げたが、すぐ、胸のところへ縮めて、顫わせながら、転がってしまった。
鷹野変
薄く、低く、土煙を揚《あ》げて、片側並木の、田圃道から、村の中へ、三....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
いよ鶴御成。国事多端のおりからにも古例を渝《か》えたまわず、民情洞察の意をもって
鷹野の御成をおこなわせられること、誠にもって慶祝のいたり、物情騒然《ぶつじょうそ....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
うだといいました。土井の邸跡で、借地なのです。向い側は広い馬場でした。昔将軍がお
鷹野のお小休に、食後の箸を落されたといういい伝えで、二本の大杉が鬱蒼とそそり立っ....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
は、普通に「山窩」と書く様になっている。これは大正三年頃の大阪朝日の日曜附録に、
鷹野弥三郎氏の「山窩の生活」と題する面白い読物が連載せられたのが、余程影響を与え....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
餌だけ、喰べさせてしまいますから」 「御拝領の鷹じゃの」 「されば、去年の秋、お
鷹野のみぎりに、お手ずから戴きました天弓と名づくる鷹で、馴れるにつれ、可愛いもの....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
卿主従への面当てもあるような調子だった。 さすが、これは耳障りであったらしい。
鷹野姿の公卿は、せっかくの読書を止め、それをふところに仕舞うと、自分の方から無頼....