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鹿鳴
「鹿鳴〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
鹿鳴の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「開化の良人」より 著者:芥川竜之介
あの時代が、まだ昨日《きのう》のような心もちがして、今でも新聞をひろげて見たら、
鹿鳴館《ろくめいかん》の舞踏会の記事が出ていそうな気がするのです。実を云うとさっ....
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
蔵品で明治初期の風俗を描いた色刷りの浮世絵や単色の挿画を見て知っていた。いわゆる
鹿鳴館時代と名付ける和洋混淆の文化がその時期にあって、女の容姿にも一つタイプを作....
「運命」より 著者:幸田露伴
卒るに及ばずして、筆硯空しく曲亭の浄几に遺りて、主人既に逝きて白玉楼の史となり、
鹿鳴草舎の翁これを続げるも、亦功を遂げずして死せるを以て、世|其の結構の偉、輪奐....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
オリン、風琴、オルガンを珍重すること傘を洋傘に見換える如くであった。朝野の顕官は
鹿鳴館に集まって屈辱ダンスの稽古に夢中になり、洋行帰りの尊敬される事神様の如く、....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
ても実に好い響きである。 ○ 秋さらば今も見るごと妻ごひに
鹿鳴かむ山ぞ高野原の上 〔巻一・八四〕 長皇子 長皇子(天武天皇第四皇子)が志....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
静々と語りはじめた。 ★ この仮装舞踏会は、最初の計画では
鹿鳴館でやるはずであった。五兵衛は時代の風潮にならって立派な宴会室を新築し、すで....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
。 毛糸の編みものがその頃流行していた。そういう手工にも姉は器用であった。あの
鹿鳴館に貴婦人たちが集って、井上外交の華やかさを、その繊手と嬌笑とをもって飾った....
「四月馬鹿」より 著者:織田作之助
た。側は西洋銀らしく大したものではなかったが、文字盤が青色で白字を浮かしてあり、
鹿鳴館時代をふと思わせるような古風な面白さがあった。 「いい時計ですね。拝見」 ....
「山吹」より 著者:泉鏡花
にポケット・ウイスキーを傾けつつあり。――鶯遠く音を入る。二三度鶏の声。遠音に河
鹿鳴く。しばらくして、立ちて、いささかものに驚ける状す。なお窺うよしして、花と葉....
「ハイカラ考」より 著者:木村荘八
つこととなる。 ハイカラ風俗のそこから下って来た山の高嶺――欧化の絶頂――が「
鹿鳴館」にあることは衆知のところだが、そこに有名な仮装舞踏会のあったのが明治二十....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
見などが発表された。前に挙げた「忠臣蔵」七段目修正論のたぐいも皆その余波である。
鹿鳴館の夜会と演劇改良論とが新聞紙上に花を咲かせているのも、この時代の特色の一つ....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
余って、あるいは岡焼半分に無礼な罵声を浴びせ掛けるものもあった。 その頃は既に
鹿鳴館の欧化時代を過ぎていたが、欧化の余波は当時の新らしい女の運動を惹起した。沼....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
り抜き、ダンスの心得のないものは文化人らしくなかった。 が、四十年前のいわゆる
鹿鳴館時代のダンス熱はこれどころじゃなかった。尤も今ほど一般的ではなかったが、上....
「娘」より 著者:岡本かの子
の前からあったが、鼈長という名で呼ばれ始めたのはこの頃からであった。明治初期に、
鹿鳴館時代という洋化時代があった。上流の夫人令嬢は、洋髪洋装で舞蹈会に出た。庶民....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
吏を職とし、雑役に任じたことは、片桐且元の兵庫の夙に関する文書(三巻四号五二頁「
鹿鳴随筆」所収)以下、その証拠がすこぶる多い。彼らのある者はまた種々の遊芸にも従....