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麻生
「麻生〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
麻生の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「栃の実」より 著者:泉鏡花
朝六つの橋を、その明方に渡った――この橋のある処は、いま
麻生津という里である。それから三里ばかりで武生に着いた。みちみち可懐い白山にわか....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
ある時に限って、氏は人民戦線という言葉を使うことを許可するものであるらしい。之は
麻生久氏などの観念の内にもあることで、日本でも既成政党がいくつかに分裂した揚句で....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
派の無産戦線分裂的行動を承認せず従って夫に基く人民戦線を承認しようとしない。特に
麻生、河野、菊川、の諸氏は外見上人民戦線の否定論者として現われている。だが問題は....
「茨海小学校」より 著者:宮沢賢治
にそちらを向いてそれから私を見ました。 「こちらは第三学年の担任です。このお方は
麻生《あそう》農学校の先生です。」 私はちょっと礼をしました。 「で武田金一郎....
「死者の書」より 著者:折口信夫
て居た昔人である。だが、かすかな軽しめに似た気持ちが、皆の心に動いた。 夏引きの
麻生の麻を績むように、そして、もっと日ざらしよく、細くこまやかに――。 郎女は、....
「鶏」より 著者:森鴎外
た。 「少佐殿。お見忘になりましたか知れませんが、戦地でお世話になった輜重輸卒の
麻生でござります。」 「うむ。軍司令部にいた
麻生か。」 「はい。」 「どうして来....
「わが戦争に対処せる工夫の数々」より 著者:坂口安吾
昭和十八年の秋から徴用といふ奴が徹底的に始まつてきた。大井広介といふ男が本名は
麻生某といつて、彼は元来九州の石炭屋の一族だ。こゝなら徴用が逃れるといふので、井....
「岩魚」より 著者:佐藤垢石
る日、石坂儀右衛門遺族殿という手紙が石坂家へ配達された。差出し人は、茨城県鹿島郡
麻生町の一青年某というのである。私が数日前、霞ヶ浦の枯蘆のなかを散歩していると、....
「食指談」より 著者:佐藤垢石
どんな風にできているのか、同座の連中名人の豪啖に悉くあきれてしまった。 漫画の
麻生豊画伯が、貴公どんな具合か腹を見せないかというと、名人は胸を開いた。一同これ....
「酒徒漂泊」より 著者:佐藤垢石
一 昨年の霜月のなかばごろ、私はひさしぶりに碓氷峠を越えて、信濃路の方へ旅したのである。山国の晩秋は、美しかった。
麻生豊、正木不如丘の二氏と共に、いま戸倉温泉の陸軍療養所に、からだの回春を待ちわ....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
れたるを見ては、あるが中にも正しき大路を取りたるかとおぼえて心嬉し。 広瀬、大
麻生、明戸などいえる村々が稲田桑圃の間を過ぎて行くうち、日はやや傾きて雨持つ雲の....
「三人の訪問者」より 著者:島崎藤村
のは、たしかに武蔵野の「冬」だった。 「冬」はそれから毎年のように訪ねて来たが、
麻生の方で冬籠りするように成ってからは一層この訪問者を見直すようになった。「冬」....
「まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
がある。たとえば、片山哲氏といえば安部先生と共に、すぐ社会民衆党だと言い、私とか
麻生氏、河上氏、三宅氏等は日労党のかたまりだと言う。日本無産党というと、鈴木、加....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
日、あの関東大震災は私にとって初めての大試練であった。この日私は群馬県大間々町で
麻生久、松岡駒吉氏らとともに八百名の聴衆を前に社会問題演説会を行っている。会場が....
「社大党はファッショ化したか?」より 著者:戸坂潤
る。 社大党ファッショ化の証拠として挙げられているものは、之を外部から見る限り
麻生書記長の言論の処々に散見して何となくその雰囲気を感じさせる民族主義風の定石に....