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麿
「麿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
麿の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「透明猫」より 著者:海野十三
た方には、即金で金十万円也を贈呈《ぞうてい》します。透明猫普及研究協会総裁村越六
麿敬白」 六さんはえらい名前までこしらえて、でかでかと、とびらにはり出した。 ....
「階段」より 著者:海野十三
脛が階段の一つをのぼる度毎に、緋色の長い蹴出しが、遣瀬なく搦みつくのであった。歌
麿からずっと後になって江戸浮世絵の最も官能的描写に成功したあの一勇斎國芳の画いた....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
けさのラジオは、ついに近衛公、木戸侯らにも逮捕命令が出たことを伝えた。 近衛文
麿公、木戸幸一侯、酒井伯、大河内正敏、伍堂卓雄、緒方竹虎、大達茂雄、大島浩、須磨....
「自叙伝」より 著者:大杉栄
に、みんなの理想し崇拝する人の名を尋ねた。秀吉も出た。家康も出た。正成も出た。清
麿も出た。そしてだんだん順番が廻って僕の番になった。 僕にはまだ、実は、理想し....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
たり自動車に乗ったりするのは、懐中の冷たい時にはやはりむずかしい。国学者の斎藤彦
麿翁はその著「神代余波」のうちに、盛んに蒲焼の美味を説いて、「一天四海に比類ある....
「神鷺之巻」より 著者:泉鏡花
の太守が郊外に逍遥した。小やすみの庄屋が、殿様の歌人なのを知って、家に持伝えた人
麿の木像を献じた。お覚えのめでたさ、その御機嫌の段いうまでもない――帰途に、身が....
「照葉狂言」より 著者:泉鏡花
かしき垣を中なる逢瀬のそれさえも随意ならで、ともすれば意地悪き人の妨ぐる。 国
麿という、旧の我が藩の有司の児の、われより三ツばかり年紀たけたるが、鳥居の突あた....
「明治十年前後」より 著者:淡島寒月
千句詠じたことがある。貞享元年に二万三千五百句を一日一夜のうちによんだ。これは才
麿という人が、一日一万句を江戸でよんだことに対抗したものであった。散文を書いたの....
「浮世絵画家の肉筆」より 著者:上村松園
――すなわち錦絵になったものの方が、数等結構なものに思えます。春信でも英之でも歌
麿でも、どうもその肉筆物は錦絵で見るような、あの魅力がないようです。やはり浮世絵....
「河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
ない、吹煽らるる北海の荒浪が、どーん、どーんと、ただ一処のごとく打上げる。……歌
麿の絵の蜑でも、かくのごとくんば溺れます。二打ち三打ち、頽るる潮の黒髪を洗うたび....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
皓体、乳も胸も、滑かに濡々として、まつわる緋縮緬、流れる水浅黄、誰も知った――歌
麿の蜑女一集の姿。ふと、びいどろの船に、紅だの白だのひらひらするのを積むといった....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
に感嘆して買出したからであるそうだ。日本人はいつでも外国人に率先される。写楽も歌
麿も国政も春信も外国人が買出してから騒ぎ出した。外国人が褒めなかったなら、あるい....
「女の顔」より 著者:上村松園
の美人は何だか顔の道具が総体伸びやかで少し間の抜けたところもあるようです。先ず歌
麿以前はお多福豆のような顔でしたが、それからは細面のマスクになって居ります。然し....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
罪人の史跡が多い。三宅島という名の由来も養老三年(皇紀一三七九年)に、多治見三宅
麿がこの島に流されてから三宅島と名づけられたといわれている。わたくしが子供のころ....
「茂吉の一面」より 著者:宇野浩二
、『鴨山考』について調査し、その結論を得たので、後に一代の大作となった、『柿本人
麿』の研究をはじめ、その年の十一月には、大著『柿本人
麿』(総論篇)を刊行し、その....