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黄檗
「黄檗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
黄檗の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玄鶴山房」より 著者:芥川竜之介
のみならず死はいざとなって見ると、玄鶴にもやはり恐しかった。彼は薄暗い電灯の光に
黄檗《おうばく》の一行ものを眺めたまま、未だ生を貪《むさぼ》らずにはいられぬ彼自....
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
向《たむ》けた。それから新しい四基の石塔に順々に水を注いで行った。……
後年|
黄檗慧林《おうばくえりん》の会下《えか》に、当時の病み耄けた僧形とよく似寄った老....
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
心地よげに見やる。耶蘇教《ヤソきょう》の牧師は救われよという。臨済《りんざい》、
黄檗《おうばく》は悟れと云う。この女は迷えとのみ黒い眸《ひとみ》を動かす。迷わぬ....
「行人」より 著者:夏目漱石
父はそれで懸物《かけもの》の講釈を切り上げようとはしなかった。大徳寺がどうの、
黄檗《おうばく》がどうのと、自分にはまるで興味のない事を説明して聞かせた。しまい....
「草枕」より 著者:夏目漱石
しかに見える。余は書においては皆無鑒識《かいむかんしき》のない男だが、平生から、
黄檗《おうばく》の高泉和尚《こうせんおしょう》の筆致《ひっち》を愛している。隠元....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
乗ることに定め、六月の十日というに孤影|蕭然として東海道列車に乗りぬ。 宇治の
黄檗山を今しも出で来たりたる三人連れ。五十余りと見ゆる肥満の紳士は、洋装して、金....
「夏目漱石先生の追憶」より 著者:寺田寅彦
頬や鼻へこすりつけるので脂が滲透して鼈甲色になっていた。書斎の壁にはなんとかいう
黄檗の坊さんの書の半折が掛けてあり、天狗の羽団扇のようなものが座右に置いてあった....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
教えてゆく時は、自分もホロホロと泣いてしまいました。 「臨済《りんざい》は三たび
黄檗《おうばく》に道をたずねて、三たび打たれた。江西《こうせい》の馬祖は坐禅する....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
何分にも勘弁していただきたい、と、取調室にいるように三拝九拝していた。 宇治の
黄檗山万福寺は隠元の創建にかかる寺だが、隠元によれば、寺院建築の要諦は荘厳という....
「新西遊記」より 著者:久生十蘭
宇治|
黄檗山《おうばくさん》の山口智海という二十六歳の学侶が西蔵《チベット》へ行って西....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
の正面が弘福寺です。門前に小さな花屋があって、本堂までずっと長い石畳の道でした。
黄檗宗のお寺ですから、下にずっと瓦を敷き詰めて、三方腰掛になっているのは支那風な....
「茶屋知らず物語」より 著者:岡本かの子
元禄|享保の頃、関西に法眼、円通という二禅僧がありました。いずれも
黄檗宗の名僧|独湛の嗣法の弟子で、性格も世離れしているところから互いは親友であり....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
おこ》させる。いつぞや芝白金《しばしろかね》の瑞聖寺《ずいしょうじ》という名高い
黄檗宗《おうばくしゅう》の禅寺を見に行った時その門前の閑地に一人の男が頻《しきり....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
読み易い仏教の経文を社会に供給したいという考えから、明治二十四年の四月から宇治の
黄檗山で一切蔵経を読み始めて、二十七年の三月まで外の事はそんなにしないで専らその....
「良寛様の書」より 著者:北大路魯山人
さんの書であるという特色は誰の眼にも映って来るものである。そのはなはだしい悪例は
黄檗の書である。
黄檗の書はまことに俗健そのものであって、雅美風流には貧弱である。....