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「黄檗山〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

黄檗山の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
乗ることに定め、六月の十日というに孤影|蕭然として東海道列車に乗りぬ。 宇治の黄檗山を今しも出で来たりたる三人連れ。五十余りと見ゆる肥満の紳士は、洋装して、金....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
独立の遺蹟の存滅を意に介せずにはいられない。想うに独立は寛文中九州から師|隠元を黄檗山に省しに上る途中で寂したらしいから、江戸には墓はなかっただろう。嶺松寺の表....
長崎の印象」より 著者:宮本百合子
ばた扉を閉めて行った本堂前の、落葉のある甃を歩き廻りながら、私共は、懐しく京都の黄檗山万福寺の境内を思い出した。去年、始めて私は観たのだが、彼処はよかった。全く....
長崎の一瞥」より 著者:宮本百合子
建築も特別保護建造物になって居るが、私共の趣味ではよさを直感されなかった。京都の黄檗山万福寺と同様、大雄宝殿其他の建物を甃の廻廊で接続させてあるのだが、山端《や....
日本文化私観」より 著者:坂口安吾
何分にも勘弁していただきたい、と、取調室にいるように三拝九拝していた。 宇治の黄檗山万福寺は隠元の創建にかかる寺だが、隠元によれば、寺院建築の要諦は荘厳という....
新西遊記」より 著者:久生十蘭
宇治|黄檗山《おうばくさん》の山口智海という二十六歳の学侶が西蔵《チベット》へ行って西....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
マメ、一つはそれより後に渡ったインゲンマメである。元来インゲンマメは昔山城宇治の黄檗山万福寺《おうばくせんまんぷくじ》の開祖|隠元禅師《いんげんぜんじ》が、明の....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
読み易い仏教の経文を社会に供給したいという考えから、明治二十四年の四月から宇治の黄檗山で一切蔵経を読み始めて、二十七年の三月まで外の事はそんなにしないで専らその....
良寛様の書」より 著者:北大路魯山人
ないためであると見るべきであるが、それら坊さんたちの料簡にして見れば、いやしくも黄檗山に僧たるほどの者、かくかくの書風、かくかくの特色を発揮せずばとの因襲的囚わ....
大岡越前」より 著者:吉川英治
ほど笑った。 いや同苦坊というのは、かれの遠いむかしの名であり、今では、宇治|黄檗山の一院の住持で鉄淵禅師と称ばれていた。 十数年前、年ごとに、江戸の窮民の....