» 

「鼎〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

鼎の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
英雄の器」より 著者:芥川竜之介
それは強いことは強いです。何しろ塗山《とざん》の禹王廟《うおうびょう》にある石の《かなえ》さえ枉《ま》げると云うのですからな。現に今日の戦《いくさ》でもです。....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。たとえば昔|仁和寺《にんなじ》の法師の《かなえ》をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇をも兼ねぬことはない。 ....
秋山図」より 著者:芥川竜之介
も坊間《ぼうかん》の説によれば、張氏の孫は王氏《おうし》の使を受けると、伝家の彝《いてい》や法書とともに、すぐさま大癡《たいち》の秋山図を献じに来たとかいうこ....
或る女」より 著者:有島武郎
事務長を目で尋ねた。と、事務長は、はるか離れた船艙《せんそう》の出口に田川夫妻と《かなえ》になって、何かむずかしい顔をしながら立ち話をしていた。いつもの葉子な....
カインの末裔」より 著者:有島武郎
門はいい酒機嫌で突然佐藤の戸口に現われた。佐藤の妻も晩酌に酔いしれていた。与十と座《ていざ》になって三人は囲炉裡をかこんでまた飲みながら打解けた馬鹿話をした。....
親子」より 著者:有島武郎
と帰って行った。そこはもうすっかりかたづけられていて、矢部を正座に、父と監督とが座になって彼の来るのを待っていた。彼は押し黙ったまま自分の座についたが、部屋に....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
全性を高めて世界を支配していたのです。 ところが十九世紀の末から既に大英帝国のの軽重は問われつつあった。殊にドイツが大海軍の建設をはじめただけでなく、三B政....
夜叉ヶ池」より 著者:泉鏡花
俺が引受けた。遣れ、汝等、裸にしようが、骨を抜こうが、女郎一人と、八千の民、誰かの軽重を論ぜんやじゃ。雨乞を断行せい。 力士|真先に、一同ばらりと立懸る。 学....
縷紅新草」より 著者:泉鏡花
あるらしい。お米もそれはまだ知らなかった。枠の四つの柄は、その半面に対しても幸にに似ない。に似ると、烹るも烙くも、いずれ繊楚い人のために見る目も忍びないであ....
悪獣篇」より 著者:泉鏡花
。」 何処の果か、砂の上。ここにも船の形の鳥が寝ていた。 ぐるりと三人、三つに夫人を巻いた、金の目と、銀の目と、紅糸の目の六つを、凶き星のごとくキラキラと....
三枚続」より 著者:泉鏡花
を呑んだような口附をする。 ト一人でさえ太刀打のむずかしい段違の対手が、ここにと座を組んで、三面|六臂となったので、青年は身の置場に窮した形で、汗を拭き、押....
式部小路」より 著者:泉鏡花
うとう真ものにしてしまった。 生命を軽んずること鴻毛のごとく、約を重んずることに似たり。とむずかしくいえばいうものの、何の事はがあせん、人殺しの飯事だ。 ....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
ぬ気になって何処からか志道軒の木陰を手に入れて来て辻談義を目論見、椿岳の浅草絵と立して大に江戸気分を吐こうと計画した事があった。当時の印刷局長|得能良介は鵜飼....
西航日録」より 著者:井上円了
軍少佐)および甲賀卯吉氏(造船技師)なり。毎夕、三人相会して船中の内閣を組織し、座一卓をかこみ、河合少佐は兵事を論じ、甲賀技師は工業を説き、余は教学を談じ、一....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
十五マイルをつつがなく過了するを得たり。ときに検疫あり。九時、家族および安藤弘、義暁両氏、本船に来たりて迎えらる。十時上陸、十一時新橋着。四、五十名の諸氏、余....