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お盛
「お盛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
お盛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ました。このギャア・カルコにもやはり百五、六十のテントがあってギャア・ニマよりな
お盛んに商売が行われている。これはチベット西北原の一地方とインドのヒマラヤ人との....
「仇討禁止令」より 著者:菊池寛
りもあるものではない。もし、今土佐兵に一矢を報いず、降参などして、もし再び徳川家
お盛んの世とならば、わが高松藩は、お取り潰しになるほかはないではないか。それより....
「国栖の名義」より 著者:喜田貞吉
の属類は風土記編纂の奈良朝の現実において、なお多く存しているとある。当時蝦夷のな
お盛んな越後において、蝦夷とは別に土蜘蛛の後裔と目せらるる人民が多く存していたの....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
と、飄々として下の関の車輛会社の中爺さんが来る。 「先生、ようべはお楽しみ。
お盛んでしたな。へへへ。」 「や、あんたもあの家へ行っていましたかね、向うで騒い....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
、風鈴屋、氷屋、金魚屋、西瓜屋の前を流れて行くのである。その大宝寺町の夜店は今な
お盛んに行われている。私はなつかしみつつ今も時に歩いてみることがある。それから四....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
中にあったものと見えます。 次兄篤次郎は賀古病院で終ったのですが、その頃は随分
お盛んのようでした。次兄の臨終の後で、私どもと夜の更けるまで話していて下さるので....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
たから、ただちに駕籠をのりつけさせました。まだ元和《げんな》慶長ながらの武の道が
お盛んな時代ですから、もとより商売はことのほかの繁盛ぶりで、三間間口の表店には、....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ののち万治元年に至りまして花火がくふうされ、さらに享保十八年に至りまして、今もな
お盛大に行なわれているあの川開きが催されるようになりましてからは、めめしい貴族的....
「霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
ますか、前橋の何と云う処で」 治「ヘヽ竪町と云うごた/\して居ります処で」 女「
お盛んな大層|好い処だそうで……貴方は御新造さまをお連れ遊ばしませんのですか」 ....
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
のときに、ちょうど、鞆といって弓を射るときに左の臂につける革具のとおりの形をした
お盛肉が、お腕に盛りあがっておりました。皇后はこれをお名まえにお取りになって、大....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
たある商店に雇われた若者は、ただ僅か数円の金をもって菓子の行商を始めたが、いまな
お盛んに同商売を持続している。この二人はすなわち年期小僧でなく、雇人制度を実行す....
「あらくれ」より 著者:徳田秋声
部屋で、鶴さんと大喧嘩をした時のお島は、これまで遂《つい》ぞ見たこともないような
お盛装《めかし》をしていた。
お島が鶴さんに無断で、その取つけの呉服屋から、成....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
ってやると言った。――しかしだれの頭を? それにまた、そんなことをしたら中傷はな
お盛んになるだろう。……警察に手紙のことを告げようか?――それは陰口を明るみにさ....
「無法者」より 著者:豊島与志雄
めた。頬笑んでるのか怒ってるのか分らない表情だった。 「あなた、この頃、ずいぶん
お盛んなようですわね。」 「どうしまして。すっかり悄気てるんですよ。」 志村は....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
味線と、太鼓と、鼓とで、けたたましく声立てて、囃し立てて、庄吉について出た。
「
お盛んで――」
番頭が、金離れのいい庄吉へ、揉手《もみで》をして御叩頭した。
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