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この節
「この節〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
この節の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「お律と子等と」より 著者:芥川竜之介
いんですよ。」
お絹はちょいと舌打ちをしながら、浅川の叔母と顔を見合せた。
「
この節の女中はね。――私の所なんぞも女中はいるだけ、反《かえ》って世話が焼けるく....
「諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
や、また筑後柳河で作る雉子車、この種の物は形が古雅で、無器用な処に面白味がある。
この節では玩具一つでも、作方が巧みになって来たのは勿論であるが、面白味がなくなっ....
「悪獣篇」より 著者:泉鏡花
、時刻に因って、汐の干ている時は、この別荘の前なんか、岩を飛んで渡られますがね、
この節の月じゃどうですか、晩方干ないかも知れません。」 「船はありますか。」 「....
「女客」より 著者:泉鏡花
したのである。あるじはあえて莞爾やかに、 「恐しいもんだ、その癖両に何升どこは、
この節かえって覚えました。その頃は、まったくです、無い事は無いにしろ、幾許するか....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
売したのは忘れましょうから、早瀬さんの御身分に障るようなこともござんすまい。もう
この節じゃ、洗濯ものも出来るし、単衣ぐらい縫えますって、この間も夜|晩く私に逢い....
「陽炎座」より 著者:泉鏡花
家の娘でも最惜くってしようがないって云うんでしょう。――そう云えば成程何だわね、
この節じゃ多日姿を見なかったわね、よくお前さん、それ、あの娘が通ると云うと、箸を....
「義血侠血」より 著者:泉鏡花
二 金沢なる浅野川の磧《かわら》は、宵々ごとに納涼の人出のために熱了せられぬ。
この節を機として、諸国より入り込みたる野師らは、磧も狭しと見世物小屋を掛け聯《つ....
「草迷宮」より 著者:泉鏡花
唄いますのが、三人と、五人ずつ、一組や二組ではござりませんで。 悪戯が蒿じて、
この節では、唐黍の毛の尻尾を下げたり、あけびを口に啣えたり、茄子提灯で闇路を辿っ....
「化鳥」より 著者:泉鏡花
ると気の毒だったり、釣をしている人がおもしろそうだとそう思ったりなんぞしたのが、
この節じゃもう、ただ、変な蕈だ、妙な猪だと、おかしいばかりである、おもしろいばか....
「紅玉」より 著者:泉鏡花
が、虹の目だ、虹の目だ、と云うものを(嘴を指す)この黒い、鼻の先へひけらかした。
この節、肉どころか、血どころか、贅沢な目玉などはついに賞翫した験がない。鳳凰の髄....
「高野聖」より 著者:泉鏡花
たので、後《あと》に残って附添っていた兄者人《あにじゃびと》が、ちょうど刈入で、
この節は手が八本も欲しいほど忙《いそが》しい、お天気模様も雨のよう、長雨にでもな....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
いうんで様子でも見に来せやあがったか。 から段々落ちに、酒も人間も悪くなって、
この節じゃ、まるで狂犬のようですから、何をどう食ッてかかろうも知れませんや。何し....
「照葉狂言」より 著者:泉鏡花
しているんだろう。始終気に懸けちゃあいるけれど、まだどうにもしようがないが、もう
この節じゃあ、どこに居なさるんだかそれさえ知れない位だもの、ねえ、貢さん。」 ....
「露肆」より 著者:泉鏡花
のが、意味ありそうで、この連中には小母御に見えて―― 湯帰りに蕎麦で極めたが、
この節|当もなし、と自分の身体を突掛けものにして、そそって通る、横町の酒屋の御用....
「薬草取」より 著者:泉鏡花
きますと、十里|南の能登の岬、七里|北に越中立山、背後に加賀が見晴せまして、もう
この節は、霞も霧もかかりませんのに、見紛うようなそれらしい花の梢もござんせぬが、....