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アカデミー
「アカデミー〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
アカデミーの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
に都合が好く、自分の研究を大陸に知らせるにも非常な便宜を得た。ことにフランスでは
アカデミー(Academie)の出来たてで、その会員の人々にも心易くなった。 ....
「不吉の音と学士会院の鐘」より 著者:岩村透
も無い。英吉利の画壇で有名な人でハークマと言えば知らぬ人はない。この人はローヤル
アカデミーの会員でもあるし、且つまた水彩画会の会員でもあって、頗る有力な名誉ある....
「人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
氷河があるからだ。温霧谷の、魔境の守り、速流氷河。 グリーンランドの北端にある
アカデミー氷河群に、一日四十メートルをながれる韋駄天氷河があるけれど、これはおそ....
「学生と生活」より 著者:倉田百三
れば学園を軽んじるかに見える。しかし今日この国に必要なのはむしろ新しき、健やけき
アカデミーの再建である。学生にして学窓への愛とほこりとを持たぬことは自ら軽んじる....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
論することを好むのでなくては教育者ではない。アテネのプラトンの聖堂のような、真の
アカデミーが私たちは欲しい。 もし彼の愛国者ソクラテスを牢死せしめたような無智....
「かもじの美術家」より 著者:神西清
※ わが国で「美術家」といえば、まずきまって画家や彫刻家のことで、それも
アカデミーからこの称号を認可された連中にかぎるというのが、通り相場になっている。....
「言語と道具」より 著者:寺田寅彦
ドルイドの石垣などは別として、本当の意味での物質科学の開け始めたのはフロレンスの
アカデミーで寒暖計や晴雨計などが作られて以後と云って宜い。そして単に野生の木の実....
「西鶴と科学」より 著者:寺田寅彦
学者の出現を望むのは必ずしも空頼めでないはずであるが、ただそういう型の学者は時に
アカデミーの咎めを受けて成敗される危険がないとも限らない。これも、いつの世にも変....
「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」より 著者:寺田寅彦
などにおいて瞥見するところである。あるいは却って古代の宗教画などに見られて近代の
アカデミー風の画には薬にしたくもないところである。ルーベンスやゲーンスボローやな....
「ベルリン大学」より 著者:寺田寅彦
なシンケルの建てた特色のある様式の建築として聞こえたものだそうである。昔は建築の
アカデミーでシンケルが死ぬまでここに住まっていたそうである。 ヘルマン教授は胡....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
史的社会に就いての唯物論を、対立せしめねばならぬ。唯物史観は決して、ブルジョア・
アカデミーなどに取っての議論や批判の対象となるために生れて来たものではなく、プロ....
「イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
、以下、特に日常的科学を頭に思い浮べて行かねばならぬ。 科学の大衆化を人々は、
アカデミー化だと思うならば、大衆化とは、科学的無責任をしか意味しない。夫は大衆化....
「科学的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
である。それは歴史科学の絶体不可欠の認識手段である。もう少し広く理解すれば、夫は
アカデミー的学殖をさえ意味する。そういう点から私は文化の思想水準と文献学的水準と....
「科学論」より 著者:戸坂潤
ぞくさねばならぬということは、相当広く認められているだろう。だが之が同時に今日の
アカデミーでは哲学の内に数えられていることも忘れてはならぬ。――倫理学や道徳科学....
「カントと現代の科学」より 著者:戸坂潤
之に反して「地球の回転は時の経つに従って其の速さを変えるか」に就いてのベルリン・
アカデミーに提出された懸賞論文はカントの独創的天才を示すものである。カントによれ....