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「インフルエンザ〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

インフルエンザの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
少年」より 著者:芥川竜之介
ころがちょうど三年以前、上海《シャンハイ》へ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザのためにある病院へはいることになった。熱は病院へはいった後《のち》....
点鬼簿」より 著者:芥川竜之介
チチニウイン」の電報を受けとり、倉皇《そうこう》と鎌倉から東京へ向った。僕の父はインフルエンザの為に東京病院にはいっていた。僕は彼是《かれこれ》三日ばかり、養家....
毛利先生」より 著者:芥川竜之介
た時の事である。自分の級に英語を教えていた、安達《あだち》先生と云う若い教師が、インフルエンザから来た急性|肺炎《はいえん》で冬期休業の間に物故《ぶっこ》してし....
霊訓」より 著者:浅野和三郎
記現象は、その最後までつづいた。その中元来あまり健康でなかった彼の体力は、数回のインフルエンザの為めに、回復し難き迄に衰弱し、かくて一八九二年、(明治二十五年)....
迷信解」より 著者:井上円了
馬は豆を食する意なりと申しておる。今一例を挙ぐれば、明治二十四年の春ごろ、東京にインフルエンザ病大いに流行したることがあったが、俗にその名をオソメ風と申したこと....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
の師匠と牛乳屋、おのずからなる世の変化を示しているのも不思議である。 この春はインフルエンザが流行した。 日本で初めて此の病いがはやり出したのは明治二十三年....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
す。しかしその後に引移って来た藤岡さんという方の奥さんが、五年目の明治二十四年にインフルエンザでなくなり、またそのあとへ来た陸軍中佐の方が明治二十七年の日清戦争....
二階から」より 著者:岡本綺堂
まだ書いたら沢山ありますが、先ずここらで御免を蒙ります。さようなら。 この春はインフルエンザが流行した。 日本で初めてこの病が流行り出したのは明治二十三年の....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
改む。 ○三月、歌舞伎座にて「夜討曾我」と「河内山」を上演。その十日目に団十郎がインフルエンザに罹り、半途にて興行中止。 ○四月歌舞伎座にては一番目を「千本桜」....
離魂病」より 著者:岡本綺堂
しい。そうして、明治の後までも無事に生きのびた。 明治二十四年の春には、東京にインフルエンザが非常に流行した。その正月に西岡は叔父のところへ年始に来て、屠蘇か....
死の接吻」より 著者:小酒井不木
。彼は衆議院の壇上で、「嘘八百万円とはこのことだ」と、苦しい洒落を言って、その夜インフルエンザに罹った。いずれにしても新らしい女を妻とするには、身命を投出す覚悟....
手術」より 著者:小酒井不木
め死亡致しました。先生はそれから長い間精神科の病室にはいって居られましたが、先年インフルエンザの流行った時、肺炎にかかって寂しく死んで行かれました。 で、最後....
風博士」より 著者:坂口安吾
科学的根拠を附け加えよう。この日、かの憎むべき蛸博士は、恰もこの同じ瞬間に於て、インフルエンザに犯されたのである。....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
が出て、二年洪水が続き、何処となく湿気ますので、季候が不順のところから、流行感冐インフルエンザと申すような悪い病が流行って、人が大層死にましたところが、お扣の前....
新生」より 著者:島崎藤村
という方が御見えでございます」 宿屋の女中が岸本のところへ告げに来た。丁度彼はインフルエンザの気味で、神戸を去る前に多少なりとも書いて置いて行きたいと思う自伝....