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カント主義
「カント主義〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
カント主義の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
いつもいないことはない。併し世界大戦直後の頃、最も有力なものとして現われたのは、
カント主義又は新
カント主義であった。なぜその時になって有力になったと称するかと云....
「道徳の観念」より 著者:戸坂潤
道徳に還元することは独りシュタウディンガーに限らず、多くのカント社会主義者(乃至
カント主義的マルクス主義者)の共通特色であって、一見之は、道徳や倫理を、もはや常....
「読書法」より 著者:戸坂潤
志は、直接に新カント派の哲学の没落として現われて来ている。だから、ハイデッガーも
カント主義であるべきカントの哲学をさえ形而上学であると解釈しようとしている。で、....
「科学論」より 著者:戸坂潤
のである。 世界像の観念に就いては、例えば相当にマッハ主義的な色彩を有っている
カント主義者M・プランクが一応の典型的見解を示している。彼によれば、実在そのもの....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
ていないと、なぜ存在の必然性から価値の通用性が出て来ることが出来るか、などという
カント主義的な愚問を真面目に提出されるわけで、哲学のレーニン的段階として有名な論....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
ーニンがすでに問題として取り上げたような認識論の問題を充分に解明していない。彼は
カント主義者やヒューム主義者の認識論上の思想を、訂正する代りに簡単に否定して了っ....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
った。E・ベルンシュタインの非弁証法的な修正主義は云う迄もなく、M・アードラーの
カント主義的マルクス主義も、H・クーノーのラサール的マルクス主義も、W・ゾンバル....
「認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
ものを考え出したのは、他ならぬブルジョア観念論的認識論者自身であったのだ(主に新
カント主義者である。カント自身はそんなものを仮想敵とはしなかった。彼は世間の人々....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
が国などで一時流行した観念哲学、特には立場(アプリオリ)の区別に専ら興味を持つ新
カント主義哲学などによって、どう本質的なアプリオリの上の区別が与えられようとも、....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
て解釈するのなら、どういう解釈でもつけることが出来るわけだ。空間については、ある
カント主義者はこれを論理学的想定にほかならぬと解釈した。風土観においては単に、そ....
「辞典」より 著者:戸坂潤
社会主義の主張乃至研究は、社会哲学の最も重大な且つ略※《ほぼ》共通な内容をなす。
カント主義に属する社会理想主義として、ナトルプやシュタムラー R. Stamml....
「哲学入門」より 著者:三木清
た認識論が主観を中心とすることになったのである。模写説が客観主義であるに反して、
カント主義は主観主義である。しかしそこにはまた真理概念の転換がいわば隠されて横た....
「生活と一枚の宗教」より 著者:倉田百三
ても起こってきます。トルストイでもその問題には非常に苦しんだ。トルストイの主義は
カント主義であります。カントのようにしなければならぬはずのものである。論理的に申....
「読書遍歴」より 著者:三木清
の時分、ランプレヒト、ブルクハルト、ランケなどの諸著を繙いた。 日本における新
カント主義は、日本の社会の現実の事情に相応して、特殊な性質のものであった。純粋な....