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ハイ
「ハイ〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
ハイの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「母」より 著者:芥川竜之介
一
部屋《へや》の隅に据えた姿見《すがたみ》には、西洋風に壁を塗った、しかも日本風の畳がある、――上海《シャン
ハイ》特有の旅館の二階が、一部分はっきり映《うつ》っている。まずつきあたりに空色....
「彼 第二」より 著者:芥川竜之介
》の景色を硝子《ガラス》戸越しに眺めていた。
「僕は近々《きんきん》上海《シャン
ハイ》の通信員になるかも知れない。」
彼の言葉は咄嗟《とっさ》の間《あいだ》に....
「湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
とうさい》などと言うやつは月収一万元を越していたんだからね。こいつは上海《シャン
ハイ》の租界の外に堂々たる洋館を構えていたもんだ。細君は勿論、妾《めかけ》までも....
「或恋愛小説」より 著者:芥川竜之介
いや漢口《ハンカオ》ばかりじゃありません。外交官の夫の転任する度に、上海《シャン
ハイ》だの北京《ペキン》だの天津《テンシン》だのへ一時の住いを移しながら、不相変....
「路上」より 著者:芥川竜之介
ずれも軌《き》を一にしているらしかった。俊助は近藤の隣へ腰を下しながら、こう云う
ハイカラな連中に交《まじ》っている大井篤夫《おおいあつお》の野蛮《やばん》な姿を....
「少年」より 著者:芥川竜之介
島の発明した※《うそ》とばかり信じていた。ところがちょうど三年以前、上海《シャン
ハイ》へ上陸すると同時に、東京から持ち越したインフルエンザのためにある病院へはい....
「或る女」より 著者:有島武郎
した。葉子は黙って、書いては消し書いては消しする字をたどって見ると、
「ネーサマ
ハイイコダカラ『アメリカ』ニイツテ
ハイケマセンヨヨヨヨ」
と読まれた。葉子の胸....
「生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
。 コンナツマラナイ素描帳ヲ見テクダサイト言ウノハタイヘンツライノデス。シカシ私
ハイツワラナイデ始メタ時カラノヲ全部送リマシタ。(中略) 私ノ町ノ知的素養ノイク....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
幌を張った、玩具よりもわずかに大きい馬車が小刻みにことこと歩いているのは幼目にも
ハイカラに見えたものである。 一六 水屋 そのころはまた本所も井戸の....
「宇宙の始まり」より 著者:アレニウススヴァンテ
に寒冷の泉が生じ、その付近を氷のような霧が包囲していた。――この地方をニーフェル
ハイム(Nifelheim 霧の世界)と名付けたのはそのためである――。また、こ....
「銀座は昔からハイカラな所」より 著者:淡島寒月
の時分の珍らしいものや、珍らしい事の多くはこの「煉瓦」にありました。いわば昔から
ハイカラな所だったのです。 明治七、八年の頃だったと思いますが、尾張町の東側に....
「諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
の議があったが、これはやらなかった。また椿岳は油絵なども描いた人で、明治初年の大
ハイカラでした。それから面白いのは、父がゴム枕を持っていたのを、仮名垣魯文さんが....
「我が宗教観」より 著者:淡島寒月
は確かでした。 私も父の子故、知らず識らず禅や達磨を見聞していましたが、自分は
ハイカラの方だったので基督教が珍らしくもあったし、日本で禁止されたこの宗教に興味....
「ある自殺者の手記」より 著者:秋田滋
アサマ キョウ ボクハ 七ツニナリマシタ 七ツトイウト モウ イイ子ニナラナクテ
ハイケナイ年デス ボクハ コノ年ヲ ボクヲ生ンデ下サッタ オ母アサマニ オ礼ヲ云....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
ンドンに出て来たときは、田舎生れの蛮カラだったが、都会の風に吹かれて来ると、大の
ハイカラになりすまし、時代の崇拝者となり、美人の評判高かった金持の後家と結婚が、....