七十[語句情報] » 七十

「七十〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

七十の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
銭、――御愛嬌《ごあいきょう》に一円五十銭にして置きましょう。」 信輔はたった七十銭にこの本を売ったことを思い出した。が、やっと売《う》り価《ね》の二倍、――....
戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
て、どこでも盛んに持てはやされていた。 「何しろ先生、盗みにはいったお大名屋敷が七十六軒、盗んだ金が三千百八十三両二分だというのだから驚きます。盗人じゃございま....
河童」より 著者:芥川竜之介
註釈なのです。―― 詩人トック君の幽霊に関する報告。(心霊学協会雑誌第八千二百七十四号所載) わが心霊学協会は先般自殺したる詩人トック君の旧居にして現在は×....
奇遇」より 著者:芥川竜之介
)そんな本が何冊もあるのですか? 小説家 存外ありますよ。日本人が書いたのでは、七十八日遊記、支那文明記、支那漫遊記、支那仏教遺物、支那風俗、支那人気質、燕山楚....
金将軍」より 著者:芥川竜之介
を掲げたことはないではないか? 「大唐《もろこし》の軍将、戦艦《いくさぶね》一百七十艘を率《ひき》いて白村江《はくそんこう》(朝鮮《ちょうせん》忠清道《ちゅうせ....
古千屋」より 著者:芥川竜之介
り》のあるという事実を感じない訣《わけ》には行《ゆ》かなかった。この推測は今度も七十歳を越した彼の経験に合《がっ》していた。…… 「さもあろう。」 「あの女はい....
黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
云って、二三年|前《ぜん》の疫病に父母共世を去って以来、この茂作と姉弟二人、もう七十を越した祖母の手に育てられて来たのだそうです。ですから茂作が重病になると、稲....
」より 著者:芥川竜之介
芸術的感激の涙の中へ身を隠した。そこには一月六円の間代《まだい》もなければ、一升七十銭の米代もない。カルメンは電燈代の心配もなく、気楽にカスタネットを鳴らしてい....
野呂松人形」より 著者:芥川竜之介
。」 Kは、それから、いろいろ、野呂松人形の話をした。何でも、番組の数は、皆で七十何番とかあって、それに使う人形が二十幾つとかあると云うような事である。自分は....
さまよえる猶太人」より 著者:芥川竜之介
って、姿を現したと云う記録は、甚だ多い。最も明白な場合のみを挙げて見ても、千五百七十五年には、マドリッドに現れ、千五百九十九年には、ウインに現れ、千六百一年には....
女仙」より 著者:芥川竜之介
いましたから、とうとう年をとってしまったのです。」 「では、……この木樵りはもう七十位でしょう。そのまた木樵りの母親だというあなたは、一体いくつになっているので....
追憶」より 著者:芥川竜之介
一円出しさえすれば、僕が欲しいと思う本は手にはいるのに違いなかった。僕はたびたび七十銭か八十銭の本を持ってきたのち、その本を買ったことを後悔していた。それはもち....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
て、時々やって来た。 クリスマスの講演も一八六〇年のが最終となりとなった。時に七十歳である。このとき、ファラデーが王立協会の幹事に送った手紙には、 「一八一三....
まあまあ居士の弁」より 著者:浅沼稲次郎
ければならない。昨年一月の総選挙は共産党は四名から一躍三十五名になり自由党は二百七十名院内絶対過半数を穫得した所が、日本の労働階級は勝った共産党を求めないで敗れ....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
班選挙が行われた。片山委員長がいないときは書記長が代理で出ろといわれ、首班指名に七十八票もらったことがある。私は松岡前議長を推したのだが、私に決まり、共産党も社....