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七大
「七大〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
七大の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
《えら》い坊主だ。王境内虎災大きを救えと乞うと入定する事|須臾《しゅゆ》にして十
七大虎来る、すなわち戒を授け百姓を犯すなからしめた、また弟子に命じ布の故衣《ふる....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
戦と違う点は、日大などを決して入れてやろうとしないという処にあるので、即ち決して
七大学リーグ戦などにならないということがその本質の一つだ。処が実はそれが六大学リ....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
軍も青年訓練所を通じて海軍思想の普及を企てる)、学生(「愛国学生連盟」の閲兵式、
七大学の「国防研究会」の結成)、女性(「大日本国防婦人会」)、小商人、その他各方....
「黒百合」より 著者:泉鏡花
そこらまで続いているんだって、何でもないよ。」 神通は富山市の北端を流るる北陸
七大川の随一なるものである。立山の地獄谷はまた世に響いたもので、ここにその恐るべ....
「源氏物語」より 著者:紫式部
が宮中から退出しておいでになって、六条院の四十歳の残りの日のための祈祷に、奈良の
七大寺へ布四千反を頒ってお納めになった。また京の四十寺へ絹四百|疋を布施にあそば....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
の叫び声をたてた。すると彼は、彼女の選に当たる仕合わせな者はどんな男かと尋ねた、
七大罪を犯した者のように醜いとジャンナン家の老婢《ろうひ》が言っていたあの検事さ....
「飛騨の顔」より 著者:坂口安吾
のは大和の飛鳥ではなくて今のミノの武儀郡あたりにあったんではないかね。聖徳太子の
七大寺のうち定額寺(葛城氏に与えた)というのは、ミノか伊那であろう。物部守屋が像....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
が現れるや、隋へ大使や学問僧を送って文物をとりよせ、憲法をつくり、十二階を定め、
七大寺をたて、仏典を講じ、今日と同じように文字とともに生活する文化生活が起ったの....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
よりこの金堂に安置せられていたものでないことも、『濫觴記』等に伝えられている。『
七大寺巡礼記』には、この八部衆はもと額田部寺の像であって西金堂に移した後毎年寺中....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
と遠からずという。 イタリアはローマ宗をもって国教と定め、その国を分かちて三十
七大教区、二万四百六十五小教区となし、寺院の数五万五千二百六十三棟、僧侶の数七万....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
しお憩いの玉座となし、楽師兼秋が、わびたる禰宜の家へ行って、 「われらは、昨日、
七大寺|詣でに出た京家の青侍どもだが、道に迷うて夜すがら難渋のあげく、おあるじに....