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万吉
「万吉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
万吉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
た。 「わかりませんね」と、わたしは首をかしげた。 「それはね。上総無宿の海坊主
万吉という奴でした」 「へえ、その生魚を食う奴が……」 「そうですよ」と、半七老....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ていて身上も悪くない。主人の長四郎は四十三歳で、子供は長三郎のほかに、十七歳の四
万吉、十四歳のお初がある。奉公人は自分のほかに、若い者が三人、小僧が二人、女中二....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
た。表面は里子に出すということにして、その実は音信不通の約束で、出入りの植木屋の
万吉というものに遣ったのですが、その
万吉も女房のお幸も気だての善い者で、すべての....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
吾は、専六がなお舟中にある間に病歿した。 矢川文一郎に嫁した陸は、この年長男|
万吉を生んだが、
万吉は夭折して弘前|新寺町の報恩寺なる文内が母の墓の傍に葬られた....
「惨事のあと」より 著者:素木しづ
うなどゝいうものもあるけれどもそれは極少なかった。山崎一家のものを惨殺した大工の
万吉は、こうした所謂流れ職人の少し気のきいた男であった。 彼は以前、北見のある....
「ヒルミ夫人の冷蔵鞄」より 著者:海野十三
った。 ヒルミ夫人が結婚生活に入ったのが、それから二ヶ月経った後のことだった。
万吉郎という五つも年齢下の男を婿に迎えたわけだが、ヒルミ夫人の見染めただけあって....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
時々勝手なことを書いたり喋ったり、やったりするのである。 たとえば元商相中島久
万吉氏は、或る大衆雑誌で足利尊氏の人物に傾倒している旨を述べたところ、それが素で....
「細木香以」より 著者:森鴎外
も、吉原の湊屋の号より取ったものであった。明治四年二月の頃、この家の抱えは貫六、
万吉、留八の三人であった。この河野は香以の息だと聞いた。」この話は正確を保し難い....
「照葉狂言」より 著者:泉鏡花
大分の高だというよ。初ッからお雪さんは嫌っていた男だってね。私も知ってる奴だよ。
万吉てッて、通の金持の息子なの。ねえ、姉さん、どういうものか万の字の着いたのに利....
「良夜」より 著者:饗庭篁村
けば、「さようでもあろうがそれが心得違いだ」と争うところへ、車上の人も来られ、「
万吉よく止めた、まだ若いにそう世を見かぎるものではない」と、問答の中へ巡査が来ら....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
したのが饗庭篁村氏の『馬琴日記抄』であって、天保二年の分を全冊転印されたのが和田
万吉氏の『馬琴日記』(原本焼失)である。 饗庭氏の抄録本もしくは和田氏の校訂本....
「拷問の話」より 著者:岡本綺堂
窃盗の常習犯人である。 大阪で仕置をうけてから、かれは同じく無宿の入墨者利吉、
万吉、清七、勝五郎ら十一人と連れ立って江戸へ出て来た。かれらは二、三人または三、....
「遠野物語」より 著者:柳田国男
れもかぎの手なることなり。この家などそのよき例なり。 八一 栃内の字|野崎に前川
万吉という人あり。二三年前に三十余にて亡くなりたり。この人も死ぬる二三年前に夜遊....
「森の石松」より 著者:山中貞雄
金毘羅様へ納めて来て呉れ」 「へい……? で親分何日発ちます?」 「今日は、
万吉ッていい日だから、日の暮れねえ中に発って貰い度え。路用の金が此処に三十両、こ....
「新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
よく皆がいったが、きちんと端座して一と処をみつめた顔は正にその通りである。うちの
万吉という薬を調合する男が正さんの家の近くに住んでいて正さんとは仲よしらしかった....