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「万寿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

万寿の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
海に生くる人々」より 著者:葉山嘉樹
雪は、北海道の全土をおおうて地面から、雲までの厚さで横に降りまくった。 汽船|万寿丸《まんじゅまる》は、その腹の中へ三千トンの石炭を詰め込んで、風雪の中を横浜....
俗天使」より 著者:太宰治
読んで下さい。 二、廃船は意外わが贈物、浮ぶ『西太后の船。』 そもそも北京郊外万寿山々麓の昆明湖、その湖の西北隅、意外や竜が現われた。とし古く住む竜にして、と....
浚渫船」より 著者:葉山嘉樹
だけ押し込んどいて、それで傷が癒りゃ、医者なんぞ食い上げだ! いいか、覚えてろ!万寿丸は室浜の航海だ。月に三回はいやでも浜に入って来らあ。海事局だって、俺の言い....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
うではありますけれど。西太后という女のひとの生活力は大したものであったことが今日万寿山を見てもわかるそうです。エカテリナの生活力が今日でもその建物によってわかる....
北京・青島・村落」より 著者:豊島与志雄
は、五百年以前から今に至るまで、その勢威を保ち続けている。西太后の栄華を誇る郊外万寿山の建造も、この勢威のなかでなされているし、欧米資本による燕京大学や輔仁大学....
北支点描」より 著者:豊島与志雄
舫を浮べるべきである。南京の玄武湖は、ボートに乗って城壁を眺めるによく、北京郊外万寿山の昆明湖は、モータボートを走らせるによく、北京市内の北海・中海・南海は、そ....
白塔の歌」より 著者:豊島与志雄
めの、有効な方法をも相談しました。すると、荘太玄は別な答え方をしました。紫金城や万寿山よりも、五塔寺の古塔や円明園の廃墟の方が、優れた鑑賞者に喜ばれるとすれば、....
祭りの夜」より 著者:豊島与志雄
は、北京には三年ばかりいたきりで、大して面白い話を持ち合わせてもいない。紫金城、万寿山、天壇、公園、市場、芝居、槐の並木……そんなことばかりで、それももう話しつ....
酒渇記」より 著者:佐藤垢石
悲(泣き上戸)、観場害馬(理屈上戸)などもやってくる。席に、宮島盃(一升入り)、万寿無彊盃(一升五合入り)、緑毛亀盃(二升五合入り)、丹頂鶴盃(三升入り)をなら....
植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
千葉モアリ葩《ハナ》長ク蔕ハツハノヘタノ如ク又アザミノ如シ九月頃マデ花アリ花鏡ノ万寿菊ニ充ベシ」とある。 『大和本草』にはまた紅|黄《オウ》草が蛮種として出てい....
牡丹灯籠 牡丹灯記」より 著者:田中貢太郎
堂左衛門尉政宣の息女弥子となり、政宣が京都の乱に打死して家が衰えたので、女の童と万寿寺の辺に住んでいると荻原に云った。荻原は隣家の翁に注意せられて万寿寺に往って....
私本太平記」より 著者:吉川英治
に限っては、以後なかなか御全快披露目の触れもない。年の末、十一月下旬、高時の子、万寿麻呂の出生があって、その祝いはあったが、お床払いとは、ついに聞えず仕舞いであ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
繁が、お救い出しに、まいったはずでございますれば」 「いやその五大院ひとりでは、万寿、亀寿の幼い兄弟を、しょせん一時に助け出すことはなるまい。兄の万寿はよそへ落....