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万里小路藤房
「万里小路藤房〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
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検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
かぬ、其の吉凶|如何と尋ねられた。側近の者皆|宝祚長久の嘉瑞なりと奉答したが、只
万里小路藤房は、政道正しからざるに依り、房星の精、化して竜馬となり人心を動揺せし....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
供奉の人数は、出づるやいな、二つに別れたのである。――俄に南へいそいだ御車には、
万里小路藤房、季房、源中納言北畠具行、六条ノ少将|千種忠顕、按察ノ大納言|公敏た....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
げても。 前大納言|師賢を下総へ。参議の光顕は、出羽に。 また、洞院ノ公敏、
万里小路藤房のふたりは、下野へ。東宮ノ大進季房は常陸流し。 僧の聖尋は、下総。....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
たび朝議にかけても一決せず、朝廷も裁決にこまって、ついに実世を免官とし、大納言|
万里小路藤房を、その任にあたらせた。 藤房は、公平厳正な態度で、査定にのぞんだ....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
いのだった。 書が多い。懐紙、願文、軍状などだ。なかでも格調匂うばかりなのは、
万里小路藤房(正成に使いし、笠置落ちにも帝と一しょにいた公卿)の九月十九日とある....