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三井寺
「三井寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三井寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
織部清治は法性寺へ出向いてみると、阿闍梨はその怨念が鼠になったとか伝えられる昔の
三井寺の頼豪《らいごう》のように、おどろおどろしい長髪の姿で寝床の上に坐っていた....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
釈迦様が予言しています。末法に入ると、叡山の坊さんは、ねじり鉢巻で山を降りて来て
三井寺を焼打ちにし、遂には山王様のお神輿をかついで都に乱入するまでになりました。....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
るその気持を歌ったもので、ボンヤリ一生を送らないということです。 あの謡曲の「
三井寺」や、長唄の「娘|道成寺」の一節に、 「鐘にうらみが数々ござる。初夜の鐘を....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
村(二十七)土蜘――但し稽古だけにて能は舞わず(以上) その他「清経」シテ、「
三井寺」ツレ等が四五番あったと思うが、ハッキリ記憶しない。 そのうちに十六七歳....
「映画の世界像」より 著者:寺田寅彦
量を付加し割り当てながら見て行く。それで、もしも映画のトリックによって一人の男が
三井寺の鐘を引きちぎって軽々と片手でさし上げれば、その男は異常な怪力をもっている....
「敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
探しながら、三十三番の札所を巡ります。先一番始まりが紀州の那智、次に二番が同国紀
三井寺、三番が同じく粉川寺、四番が和泉の槙の尾寺、五番が河内の藤井寺、六番が大和....
「田原藤太」より 著者:楠山正雄
ん。釣り鐘はたたくと近江の国中に聞こえるほどの高い音をたてました。藤太は釣り鐘を
三井寺に納めて、あとの二品を家につたえていつまでも豊かに暮らしました。....
「大正女流俳句の近代的特色」より 著者:杉田久女
千代女 木々の闇に月の飛石二つ三つ 汀女 蝉時雨日斑あびて掃き移る 久女
三井寺の源氏の間の灯を蝙蝠があおつ情趣。月見にも女はかげをほしがるという千代女の....
「南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
ン駛って行く。軽舟行程半日にして、大津の宿まで行けるのである。 矢走が見える、
三井寺が見える、もう大津へはすぐである。 とその時事件が起こった。どこからとも....
「なよたけ」より 著者:加藤道夫
の? 文麻呂 ああ、いまさっき。………ここで別れたところなんだ。何だか、今夜中に
三井寺を過ぎて、滋賀の里までは是が非でも辿り着くんだなんて、とても張り切ってたよ....
「取返し物語」より 著者:岡本かの子
いると、伝説として所々に出ている。此のたび機会があったのでまとめてみた。伝説には
三井寺はもっと敵役になっているが、さまではと和げて置いた。 一たい歌舞伎劇の手....
「久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
り此方、また芝居の方を続けられることになって、現にこの二月の東劇に上演した私の『
三井寺絵巻』なども、米斎君に御願いしました。米斎君としてはこれが最後だったわけで....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
て仏教大学のことを報告している。当時大学と見てよいものが多くあった。高野山学林、
三井寺学林、比叡山学林などに明了に分っている。京都に南禅寺学林、妙心寺学林かと思....
「長吏名称考」より 著者:喜田貞吉
吏は文字の如く吏員の長たるものの称で、「撮壌集」官名の部に、「長吏」と出ている。
三井寺では智証大師円珍が始めてこの職に補せられて以来、代々その長たるものを長吏と....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
んだとは思われぬ。 しかるに中世になってはその語が濫用せられて、叡山の山法師、
三井寺の寺法師、南都の奈良法師はもちろん、上は高僧知識から、下は末流凡下の俗僧ま....