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三宝院
「三宝院〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三宝院の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
線は、漸く活況を帯びて来たのである。 応仁元年九月一日、西軍五万余人は大挙して
三宝院を襲い、是に火を放って、京極勢の固めて居る浄花院に殺到して行った。 西軍....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の柿と柚《ゆず》の二大君子の面影《おもかげ》に接して、襟を正さないものがあるか、
三宝院の鵜《う》は一つ一つが生きていますよ。いきていると言ったって君、いきている....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
もないと口をつぐみます。 しかし、本来を言えば、お嬢様の醍醐をたずねる目的は、
三宝院の庭と絵とを見んがためでありました。 それをそそのかしたのは不破の関守氏....
「雪の宿り」より 著者:神西清
、兵火の余烟を遁れんものとその近辺の卿相雲客、或いは六条の長講堂、或いは土御門の
三宝院へ資財を持運ばれた由が、載せてございますが、いざそれが吾身のことになって見....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ども、いまだに梨のつぶてなのだ。薬師丸、そちならばどこを尋ねる?」 「まず醍醐の
三宝院へ行ってみます。あそこの僧正も日野家から出たお方です。それでも分らなければ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
途中の室ノ津へ、持明院統の院宣をもたらして来て尊氏にそれをさずけた光厳院の御使、
三宝院ノ賢俊もそのうちに立ちまじっていた。 「いざ、こうお越しくださいまし……」....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
っそく、光厳上皇と豊仁親王を、みずからお迎えして、男山の一院にあがめ、侍座には、
三宝院の賢俊を、お添え申しあげた。元々、賢俊は持明院統の臣下である。 やがてま....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
(足利) 康永二年十月卅日 直義(花押) 謹上
三宝院大僧正御房 とある。それでもなお南北朝戦乱の際には、他の工事に駆り出され....