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三略
「三略〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
三略の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「骨董」より 著者:幸田露伴
墓という語は支那には古い言葉で、昔から無法者が貴人などの墓を掘った。今存している
三略は張良の墓を掘って彼が黄石公から頂戴したものをアップしたという伝説だが、
三略....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
のワーレンホー、レーキ、シャヴル、草苅鎌、柴苅鎌など百姓の武器と、園芸書類の六韜
三略と、種子と苗とを仕入れた。一反五|畝の内、宅地、杉林、櫟林を除いて正味一反余....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
膨脹《ぼうちょう》したのである。此の早雲という老夫《おやじ》も中々食えない奴で、
三略の第一章をチョピリ聴聞すると、もうよい、などと云ったという大きなところを見せ....
「地球要塞」より 著者:海野十三
とし》” とあるのを、私は、大きな感動とともに、二、三度読みかえした。たしかに
三略にある名句である。 私は、元帥に別れの挨拶をして、再び魚雷型快速潜水艇にう....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
様を後見して、これを教育するの心がけを忘れない、ただ、その教育ぶりがあくまで六韜
三略的《りくとうさんりゃくてき》であることが、この人の特徴になっている。美濃に縁....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
変動無常
因敵転化《てきによっててんかす》
という刀家相伝《とうけそうでん》
三略のことば。
それが初代将監先生大書の額となってあがっている月輪の道場である....
「島木赤彦氏」より 著者:芥川竜之介
島木さんに最後に会ったのは確か今年(大正十五年)の正月である。僕はその日の夕飯を斎藤さんの御馳走になり、六韜
三略の話だの早発性痴呆の話だのをした。御馳走になった場所は外でもない。東京駅前の....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
どもは植梅《うえうめ》でございます。五代目|団蔵《だんぞう》の当り狂言『鬼一法眼
三略巻《きいちほんげんさんりゃくのまき》』。三段目『菊畑』、四段目は『檜垣茶屋《....
「雪柳」より 著者:泉鏡花
ません。冒険的にも見たかったのでありますが、牛若ほどの器量がないから、魔道妖異の
三略には、それきり、手を触れる事が出来なかった。 「なあ、それにしても、ほんにほ....
「埋もれた日本」より 著者:和辻哲郎
をもっておのれの時代を始めたのである。慶長四年(一五九九)の『孔子家語』、『六韜
三略』の印行を初めとして、その後連年、『貞観政要』の刊行、古書の蒐集、駿府の文庫....
「三国志」より 著者:吉川英治
住んでいるのか」 「臨淮の東城(安徽省・東城)におります。――この人は、胸に六韜
三略を蔵し、生れながら機謀に富み、しかも平常は実に温厚で、会えば春風に接するよう....
「三国志」より 著者:吉川英治
号を臥龍先生と称して、上は天文に通じ、下は地理民情をよくさとり、六韜をそらんじ、
三略を胸にたたみ、神算鬼謀、実に、世のつねの学徒や兵家ではありません」 「其方と....
「三国志」より 著者:吉川英治
た夏侯楙※馬などとは大いに質がちがっていて、兄の覇は弓馬武芸に達し、弟の恵は六韜
三略を諳じてよく兵法に通じ、他の二兄弟もみな俊才の聞えがあった。 長安に集結し....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
の時親が胸中のもの、あらましは授けてあるが、さらに、かかる時に会したからは、六韜
三略の奥義までも、ことごとく伝授してやろうものを、と」 「そうか」 かろく聞き....