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「上京〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

上京の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
黒衣聖母」より 著者:芥川竜之介
計ってやった事がありました。その礼心《れいごころ》だったのでしょう。稲見はある年上京した序《ついで》に、この家《いえ》重代《えじゅうだい》の麻利耶観音を私にくれ....
星座」より 著者:有島武郎
の人たちに対しても彼はそれに手加減をする理由は露ほども見出さないのだ。 清逸は上京の相談で家に帰りはしたが、自分の健康が掘りだしたばかりの土塊のような苛辣《か....
国貞えがく」より 著者:泉鏡花
といって腰をのめらして行った。……御威勢のほどは、後年地方長官会議の節《せつ》に上京なされると、電話第何番と言うのが見得《みえ》の旅館へ宿って、葱《ねぎ》の※《....
婦系図」より 著者:泉鏡花
の歯を挽くがごとし。で、意見かたがたしかるべき嫁もあらばの気構えで、この度母親が上京したので、妙子が通う女学校を参観したと云うにつけても、意のある処が解せられる....
眉かくしの霊」より 著者:泉鏡花
―と代官|婆に、誓って約束をなさいまして、学士先生は東京へ立たれました。 その上京中。その間のことなのでございます、――柳橋の蓑吉姉さん……お艶様が……ここへ....
女客」より 著者:泉鏡花
すっきりした中年増。 これはあるじの国許から、五ツになる男の児を伴うて、この度上京、しばらくここに逗留している、お民といって縁続き、一蒔絵師の女房である。 ....
薄紅梅」より 著者:泉鏡花
の、強弓の達者で、しかも苦労人だと聞いたが違いない。……話の中に、田舎から十四で上京した時は、鍛冶町辺の金物屋へ小僧で子守に使われた。泥濘で、小銅五厘を拾った事....
雪霊記事」より 著者:泉鏡花
す。―― おなじ年、冬のはじめ、霜に緋葉の散る道を、爽に故郷から引返して、再び上京したのでありますが、福井までには及びません、私の故郷からはそれから七里さきの....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
うが有望だと考え、松竹の試験に応募してみたらどうだとすすめてやつた。伊藤はすぐに上京して私の間借りしていた三畳の部屋へやつてきた。 根津須賀町のその家は、よく....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
郷里――秋田から微禄した織物屋の息子ですが、どう間違えたか、弟子になりたい決心で上京して、私を便って、たって大野木宗匠を師に仰ぎたい、素願を貫かしてもらいたい、....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
るいは希望が達しられるかも知れないと思ったので。 つまり、友だちが暑中休暇後に上京する――貧乏な大学生で――その旅費の幾分を割いて、一所に連れて出てもらいたか....
雪柳」より 著者:泉鏡花
児の玩ぶのは勿論の事。父祖代々この職人の家から、直槙は志を立てて、年紀十五六の時上京した。 彫刻家にして近代の巨匠、千駄木の大師匠と呼ばれた、雲原明流氏の内弟....
卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
いうものを、かつて京大阪の家造で心得ていたためではない。その息子というのが、一度上京して、八郎の家に居た処へ、私がちょっと行合わせて顔を知っていたからである。 ....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
れをなして外に逃げ、後で家に帰っても俵の中にかくれていた。 小学校六年の終りに上京、砂町にいた父の膝もとから砂町小学校に通い、ついで府立三中(今の両国高校)に....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
。しかし世間では石原はド偉い要求を出すとの評判であったらしい。 その頃ちょうど上京中であった星野直樹氏(私は未だ面識が無かった)から、大蔵省の局長達が日本財政....