上達部[語句情報] » 上達部

「上達部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

上達部の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
ぼ御推察が参るでございましょう。 別してその御堂供養《みどうくよう》の当日は、上達部殿上人《かんだちめてんじょうびと》は申すまでもなく、女房たちの参ったのも数....
連環記」より 著者:幸田露伴
のも無く見ゆ、と申す。親王興に入りたまいて、さらば足下のは、と問わせたまうに、旧上達部の檳榔毛の車に駕りたるが、時に其声を聞くにも似たらん、と申した。長短高下を....
『新新訳源氏物語』あとがき」より 著者:与謝野晶子
よく原文を読めば文章の組立てが若菜から違っているのに心づくはずである。必ず「上達部、殿上人」であったものが、「諸大夫、殿上人、上達部」になっている。昔の写本....
弓道中祖伝」より 著者:国枝史郎
育て下されました。しかるに大乱はじまりまして、都は大半烏有に帰し、公卿方|堂上人上達部、いずれその日の生活にも困り、縁をたよって九州方面の、大名豪族の領地へ参り....
私本太平記」より 著者:吉川英治
楽も止み、関白ノ内経、諸大臣らは、床のすえにひれ伏し、西と東の中門廊にも、多勢の上達部(上級の公卿)が、御簾揚げわたした辺りの一点を、粛と、見やり奉っていた。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ずッているのである。六位ノ蔵人や殿上の端たちで、それぞれが物蔭での目撃を、中殿の上達部へ、むらがり告げていたのであった。 すでに、上卿たちも、知ってはいた。 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、したくせよ」 と、命ぜられた。 「やっ、御動座とな」 あらためて、あたりの上達部(上卿)たちは、からだのしん底から、異様な感動につかれたような声を発した。....
私本太平記」より 著者:吉川英治
法領寺殿や池殿、北御所などに御簾を分けておられたのである。そのそれぞれには、侍く上達部があり、お末の小女房だの六位ノ蔵人たちもいることなので、仮の宮苑とはいいな....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
耐えて、夢の島に着いた公卿たちが、どうしておとなしくなどしているものか。 “……上達部、殿上人の、とのゐ所、心をつくしてまうけたり。内侍ども、屋形をしつらひてぞ....
美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
の宰相頼定も、これがたたって、三条天皇の治世中は、殿上を遠ざけられ、半生、地下の上達部というばつの悪い地位にくすぶっていたようである。 爪が紫いろになる迄、氷....