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下刻
「下刻〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
下刻の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「偸盗」より 著者:芥川竜之介
なくなるがさ。実はわたしは、きのう娘に会ったのだよ。すると、きょう未《ひつじ》の
下刻《げこく》に、お前さんと寺の門の前で、会う事になっていると言うじゃないか。そ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
って、たえず注意をつづけてまいりました。久喜の宿へはいったのが翌日の午《うま》の
下刻――。 「おっ、こいつあめっけものだ。ね、だんな、ごらんなせえよ、あそこに名....
「護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
の女房も来た。 神戸方で三右衛門は二十七日の寅の刻に絶命した。 その日の酉の
下刻に、上邸から見分に来た。徒目附、小人目附等に、手附が附いて来たのである。見分....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
期する処あって、寛永十五年元旦をもって、総攻撃をなすべく全軍に命じた。元旦|寅の
下刻の刻限と定めて、総勢一度に鬨を挙げて攻め上げた。三の丸を打ち破る事は出来たが....
「最後の一句」より 著者:森鴎外
った。 ―――――――――――――――― 十一月二十四日の未の
下刻である。西町奉行所の白州ははればれしい光景を呈している。書院には両奉行が列座....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
いたし、お鷹狩のあいだに代地《しま》ならびに代のかこいの検証をすませておく。午の
下刻《げこく》、上様ご中食《ちゅうじき》の後、お仮屋青垣《かりやあおがき》までお....
「釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
うわさなぞついぞ立ったことがないのだった。 前夜、十四日の真夜中、丑《うし》の
下刻とあるから八つ半、いまで言う午前三時ごろだった。 この大鍋の階下《した》の....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
るから、可愛相な者があれば仙太に内証で助けて遣りました者も多くあります。丁度|申
下刻に用を終って湯に往くというので、鳴海の養老の単物といえば体裁が宜いが、二三度....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
師の御命日ですから」 「あ、父の命日になるか、それは止そう。……九日の朝――卯の
下刻、そうきめる、そういたそう」 「では、その通りに、高札に認め、こよい除夜のう....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
誰かいい出して、
「さよう?」
期せずしてみなの眉が、陽を仰いでみる。
「卯の
下刻。――もはやその時刻だが」
「どうしたろう、若先生は」
「もう来る」
「そう....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
かたく禁制。 遊観の舟、便船、漁舟等も同様。海門|往来止たるべし。 ただし辰
下刻までの事。以上 慶長十七年四月 各所に、....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
俊基、資朝の鎌倉|押送は、あくる朝の十月四日、予定どおりに行われた。 卯ノ
下刻(午前七時)に六波羅を出た二つの囚人輿は、まだ晩秋の木々や町屋の屋根の露も干....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
いも匆々に、またすぐ先へ急いだのだった。 かくて、麓の三石村へついたのは、巳ノ
下刻(午前十一時)ごろ。 そこには先の日、加古川ノ宿で別れた権ノ五郎の家来十数....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
午後も凄まじい夕焼け空となっていた。――明確にいえば、延元元年の三月一日――申ノ
下刻(午後五時)ごろ。 武敏は、用意の願文をおさめて、神前の拝を終り、そして参....