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下拵
「下拵〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
下拵の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「註文帳」より 著者:泉鏡花
「ああ、今日はちっとの、内証に芝居者のお客があっての、実は寮の方で一杯と思って、
下拵に来てみると、困るじゃあねえか、お前。」 「へい、へい成程。」 「お若が例の....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
です。重兵衛が千駄ヶ谷の建具屋に雨戸や障子を頼んだのも、孤芳をここへ引っ越させる
下拵えであったと見えます。 勿論、孤芳の引っ越し先は、万次郎にもお絹にも秘して....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
ました。この一週間に一度の大運動、これは私がこれから雪山の道のない所を踰えて行く
下拵えをして置くのでそうして修練しませんければ、私は高い山に登って空気の稀薄な所....
「美味放談」より 著者:北大路魯山人
大物になれる。けちな欲気なんか少しも持っていないのが太閤だ。 鰻の
下拵え すずきのごとき魚も洗いにしてうまいものだが、東京の職人のこの作り方をよ....
「正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
に徳川幕府の細作になれと云われるのでした。当代の政治に順服わぬ徒輩を一気に殲滅す
下拵えを私にせよというのでした。 私は当惑する前に知己の恩に感じたのでございま....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
芝の金森様のお屋敷へ年始に往くのだが、一昨日も其のお屋敷へ往くのもお誂えのお刀を
下拵えをして御覧に入れたのが、またお下げになったのを、其のお刀を持ったなり帰らな....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
時分の事も朧気には記憶しております。 十歳の時、母の里方、埼玉の東大寺へ奉公の
下拵えに行き、一年間いて十一に江戸へ帰った。すると、道補の実弟に、奥州|金華山の....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ったような工合になったのです。 竹内友樹君は富山県出身。私宅にて美術学校入学の
下拵えをして、後に入学。卒業後、香川県の工芸学校の教師となった。 それから、少....
「爛」より 著者:徳田秋声
委すことにしていた。浅井はほかにも、いろいろの仕事に手を染めはじめていた。会社の
下拵えなどをして、資本家に権利を譲り渡すことなどに、優れた手際を見せていた。 ....
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
あるのかい」 「宗近へですか」と聞き直す。念を押すのは満を引いて始めて放つための
下拵《したごしらえ》と見える。 「ああ」と母は軽く答えた。 「いやですわ」 「い....
「自転車日記」より 著者:夏目漱石
丈夫玉砕瓦全を恥ずとか何とか珍汾漢《ちんぷんかん》の気※《きえん》を吐こうと暗に
下拵《したごしらえ》に黙っている、とそれならこれにしようと、いとも見苦しかりける....
「キャラコさん」より 著者:久生十蘭
起きだして、そっとお台所へおりて行って、しきりにゴトゴトやります。ゆうべのうちに
下拵《したごしら》えをして置いた茹卵《ゆでたまご》やハムでサンドイッチをこしらえ....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
た。今あの往還は海浜のプロムナード国道になるので幅をひろくし、コンクリートにする
下拵えですっかり掘りかえされて居ます。もし門がしまっていたら、私が押すからいねち....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
駒込林町より(朝井閑右衛門筆「丘の上」の絵はがき)〕 十一月十四日。毎日仕事の
下拵えのために没頭して居ります。この頃健康改造のために注射をはじめ、すこしよいよ....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
六月二十八日 きょうはお母さんはお店のテーブルのところで、月末のかけとりの
下拵え。書き出しをこしらえていらっしゃる。外では麦のとりいれの最後でモーターの音....