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下知
「下知〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
下知の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
めされて、この古屋敷は変化《へんげ》の住み家《か》とみゆるぞ、とく狩り出せよとの
下知にまかせて、われわれ一同が松明《たいまつ》振り照らして、床下から庭の隅《すみ....
「三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
にもせよ、夜陰に及んで妄りに貝をふきたてゝ城下をさわがす曲者は、すぐ召捕れという
下知があったところへ、家老のなにがしが俄に殿の御前へ出て、容易ならぬことを言上し....
「修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
行親 一人はこれより川下へ走せ向うて、村の出口に控えたる者どもに、即刻かかれと
下知を伝えい。 兵一 心得申した。 (一人は下手に走り去る。行親は一人を具して上....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
、家康は、自分は小国で小勢を使い習っているから、大勢は使えないし、心を知らぬ人を
下知するのも気苦労だから、自勢だけで沢山だと云った。信長重ねて、朝倉と云う北国の....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
まに、我先に船に乗らんと海岸を目指して逃出した。晴賢は、自身采配を以て身を揉んで
下知したが、一度崩れ立った大軍は、如何ともし難く、瞬く中に塔の岡の本陣は、毛利軍....
「長篠合戦」より 著者:菊池寛
戦をくり返して居るうちに、弾丸で死するもの、六百に及んだ。昌景屈せず、柵を破れと
下知して戦ったが、忽ちに復二百余りは倒れ、疵つくものも三百を越えた。しかし手負の....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
て居るので、周章狼狽した。秀吉この有様を見て居たが、すは時分は今ぞ、者共かかれと
下知し、自ら貝を吹立てた。夜も全く明けた七時頃、秀吉は総攻撃を命じたのである。旗....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
ば直ちに取って返し一文字に突破すべし。かくすれば此敵安く追い払う事が出来るぞ」と
下知して戦ったが、ついに手負|数多で討死した。自分が声明した通りであった。部隊の....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
宮津の道場に急使をたてた。四郎は直ちに諾して、「我を大将と仰ぐからには、如何なる
下知にも随うべし。陣立を整う故に早々各地の人数を知らしむべし」と命令した。道場の....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
なれ山となれ的な棄鉢でやった事ではない。 例の愛宕山の連歌で、 ときは今|天が
下知る五月かな と云う発句を見ても、天下を狙う大志が躍動しているわけである。老....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
しぎなる弓取なり。真田|備居る侍を一人も残さず討死させる也。合戦終りて後に、真田
下知を守りたる者、天下に是なし。一所に討死させるなり」と云われている。 此の一....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
た。 然し、幸村は「爰を辛抱せよ。片足も引かば全く滅ぶべし」と、先鋒に馳来って
下知した。一同、その辺りの松原を楯として、平伏したまま、退く者はなかった。 始....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
よ声を低めた。「これには若殿御不同意とか申すことで、御家来衆も板挾み、どちらの御
下知に従うてよいやら案じ迷うて居るとか聞きましたが、所詮は大殿のお指図次第かと察....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
たものとして、これを征伐せんことを希望したが、朝廷では単に義経を搦め進ずべき旨を
下知し給うのみで、奥州討伐のことはどうしてもお許しがない。そのうちに秀衡死して、....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
九月十一日に起請文を入れて罪を謝している。 また文明二年二月十四日には、寺門の
下知として、五ヶ所以下の声聞士等が、伊勢から浄法院その他へ運搬する金、水金その他....