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「世に〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

世にの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
思われませんが。」 「いや、改名主はいなくなっても、改名主のような人間は、いつの世にも絶えたことはありません。焚書坑儒《ふんしょこうじゅ》が昔だけあったと思うと....
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
上げてくれい。よいか。しかと申しつけたぞ。」 私はそのときの平太夫の顔くらい、世にも不思議なものを見た事はございません。あの意地の悪そうな、苦《にが》りきった....
奇遇」より 著者:芥川竜之介
がいるかどうか、それさえはっきりとは知らずにいる。が、たといその娘が、実際はこの世にいないのにしても、僕が彼女を思う心は、変る時があるとは考えられない。僕は僕の....
おしの」より 著者:芥川竜之介
え》がございましょう? またそう云う臆病ものの流れを汲《く》んだあなたとなれば、世にない夫の位牌《いはい》の手前も倅《せがれ》の病は見せられません。新之丞《しん....
俊寛」より 著者:芥川竜之介
とは云うものの、おれたちは皆|都人《みやこびと》じゃ。辺土《へんど》の民はいつの世にも、都人と見れば頭を下げる。業平《なりひら》の朝臣《あそん》、実方《さねかた....
秋山図」より 著者:芥川竜之介
《い》い機会だから、秋山《しゅうざん》を尋ねてご覧《らん》なさい。あれがもう一度世に出れば、画苑《がえん》の慶事《けいじ》ですよ」と言うのです。 私ももちろん....
「菊池寛全集」の序」より 著者:芥川竜之介
池寛も、文壇の二三子と比較した場合、謂う所の生一本の芸術家ではない。たとえば彼が世に出た以来、テエマ小説の語が起った如きは、この間の消息を語るものである。こう云....
佐藤春夫氏の事」より 著者:芥川竜之介
らず。佐藤の一身、詩仏と詩魔とを併せ蔵すと云うも可なり。 四、佐藤の詩情は最も世に云う世紀末の詩情に近きが如し。繊婉にしてよく幽渺たる趣を兼ぬ。「田園の憂欝」....
」より 著者:秋田滋
た。わたくしの生命そのものだったのであります。彼女を措いて、わたくしにはもうこの世に何一つ期待するものはありませんでした。わたくしは何ものも、何ものも望まなかっ....
初雪」より 著者:秋田滋
考えてみたことはなく、現在の自分の生活、現在の自分の快楽に満足しきっている彼は、世にも幸福な人間だった。彼はこうした荒寥たる国に生れ、ここで育ったのである。彼に....
良夜」より 著者:饗庭篁村
聞て二三は知るほどなりしゆえ、伯父はなお身を入れてこの子こそ穂垂という家の苗字を世に知らせ、またその生国としてこの地の名をも挙るものなれとて、いよいよ珍重して教....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
い。なるほどナポレオンやアレキサンドロスのは、雄であり、壮である。しかし、いつの世にでも、日本での発見はそのまま世界の発見であり、詩や歌のごとく、外国語に訳する....
スリーピー・ホローの伝説」より 著者:アーヴィングワシントン
のを見ることはなくなった。そして、ブロムとスリーピー・ホローの先生とのあいだには世にもすさまじい闘争がおもむろに展開されることになったのである。 ブロムは生来....
狂人日記」より 著者:秋田滋
ら、ああ、私は驚くべき殺人の下手人となるのだ。 十月二十五日―― 釣師殺しは世に知れわたった。一緒に釣に出かけた被害者の甥が下手人とされた。 十月二十六日....
夢の如く出現した彼」より 著者:青柳喜兵衛
火線香の最後に落ちる玉となって消えた夢野久作、その火華は、今十巻の全集となって、世に出ようとしている。 久作さんを知ったのは何時の頃からかは、はっきりしない。....