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丘上
「丘上〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
丘上の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「西航日録」より 著者:井上円了
hool)校長、ウイリアムズ(Williams)氏の宅に同居す。校舎はバンガーの
丘上にありて、当地第一の位置を占む。校長の宅はその校内にありて、教場および寄宿舎....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
諸店を通覧し、つぎに五百羅漢、道教寺院、仏教寺院、陳氏祖廟、富豪墓所等を一巡し、
丘上なる鎮海楼(五層楼)上にのぼりて休憩し、小餐を喫す。楼上にありて一望するに、....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
れり。これより関東全く北朝に帰するに至りぬ。 大宝沼の北端、三方水に囲まれたる
丘上は、これ関城の趾也。沼に臨みて宗祐父子の墓あり。関城の碑も立てり。大宝沼は城....
「かの女の朝」より 著者:岡本かの子
虚無を示して十年の変遷のうちに根気よく立っている。かの女は伊太利の旅で見た羅馬の
丘上のネロ皇帝宮殿の廃墟を思い出した。恐らく日本の廃園に斯うまで彼処に似た処は他....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
、世の習いであろう。それはいわゆる甘藷先生の青木昆陽の墓である。もっとも、境内の
丘上と丘下に二つの碑が建てられていて、その一は明治三十五年中に、芝・麻布・赤坂三....
「目黒の寺」より 著者:岡本綺堂
のも、世の習であろう。それはいわゆる甘藷先生の青木昆陽の墓である。もっとも境内の
丘上と丘下に二つの碑が建てられていて、その一は明治三十五年中に、芝、麻布、赤坂三....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
通ずる一本道の他は両側共に山で囲まれて居る。こうなると義元は袋のなかの鼠である。
丘上で信長馬から下りて斬り込むかと議すると森可成馬のまま馳せ下るがよろしいと答え....
「文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
して其盡きるあたりに、黒い帯を曳いて、可なり大きな川が流れてゐた。それから先きは
丘上りに、段々高くなつて行つて、其向うを劃つてゐるのは、襞の多い屏風のやうな連山....
「少年連盟」より 著者:佐藤紅緑
た。 十月十一日、未明に出発、湖畔にそってすすむ。たちまち一個の砂丘に達した。
丘上に立って左右をながめると、一方は湖が鏡のごとくひらき、他方には無数の砂丘が起....
「地上」より 著者:島田清次郎
華やかなパラソルが彼の目に見えた。 「和歌子さんだ!」 平一郎はもしや和歌子が
丘上の自分達を気づかないで行きすぎやしまいかが心配だった。彼の後ろで深井が同じ熱....
「鮭の祟」より 著者:田中貢太郎
さしていた花櫛をその脇に埋めて神として祭った。銚子町の東端、円福寺の背後になった
丘上にある川口明神と云うのがそれだ。俗にはそれを白紙明神と云っている。もとは歯櫛....
「あの世の入口」より 著者:知里真志保
て見た。場所はアフンルパ※から旧道を横切り二百歩余東南に行った至近距離で、其処は
丘上で沢形になった地形で、下るとごく小さな泉が湧いており、水は細流になって流れ出....
「小爆発二件」より 著者:寺田寅彦
水上理学士は障子にあたって揺れる気波を感知したそうである。また自分たちの家の裏の
丘上の別荘にいた人は爆音を聞き、そのあとで岩のくずれ落ちるような物すごい物音がし....
「みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
た旭川の鴻の台である。上川原野を一目に見て、旭川の北方に連塁の如く蟠居して居る。
丘上は一面水晶末の様な輝々する白砂、そろ/\青葉の縁を樺に染めかけた大きな※樹の....
「ピンカンウーリの阿媽」より 著者:豊島与志雄
の建物、舗装しつくされた街路、アカシアやプラタナスの並木、青澄な海と白砂の浜辺、
丘上や岬に散在する公園、競馬場やゴルフ場……若いハイカラな近代都市である。 だ....