中田[語句情報] » 中田

「中田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

中田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
無名作家の日記」より 著者:菊池寛
文壇に出る機会が、かえって早められるかも知れぬ見込みが、朧げながらあった。それは中田博士が、京都の文科の教授であることであった。博士は、もうよほど、文壇の中心か....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
ち秀英塾だなどと名前からしていやだ) 塾といっても、教師は居らず、ただ三年生の中田が塾長の格で塾生を監督し、時々行状を大阪の「出資者」(――と豹一は呼んでいた....
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
興味のある点だ。 三月三十一日には証人として小林貞を預かって病院に通わしていた中田かまと云う老婆が喚ばれた。この辺りからボツ/\井戸から上った死体が果して貞子....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
も一緒になっていたので、これ幸いと曲者の持っていた書面と継合せて見まして、 梅「中田千早様へ常磐よりと……常磐の二字は松蔭の匿名に相違ないが、千早と云うが分らん....
田舎教師」より 著者:田山花袋
態のすべてではなかった。村の若い者が夜遅くなってから、栗橋の川向こうの四里もある中田まで、女郎買いに行く話などをもおもしろがって聞いた。大越から通う老訓導は、酒....
田丸先生の追憶」より 著者:寺田寅彦
同で謝罪と謹慎の意を表してゆるしてもらうことになったのである。 われわれの在学中田丸先生はほとんど一度も欠勤されなかったような気がする。当時一方には、日曜の翌....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
毎晩この始末。むかしの旅の不自由が思いやられる。 三十一日は利根の渡を越えて、中田の駅を過ぎる。紀行には「左右貸座敷軒をならべ、剥げちょろ白粉の丸ポチャちら/....
乾杯」より 著者:豊島与志雄
ければならないのは、彼の比較的新らしい親友、実業家の野島や科学者の曽田や文学者の中田がはいっていないことと、料理よりもむしろ酒類が豊富なことでした。 三時頃か....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
かれるか?」 「屋敷の中へはいろう!」 「ご案内しましょう。おいでなされ」 老中田沼侯の下屋敷の庭へ、外から忍んで入るというようなことは、考えにも及ばない不可....
『演劇』あとがき」より 著者:岸田国士
きわめて率直な感想をきくことができた。 最後に、演劇年譜であるが、少壮篤学の士中田耕治君に、非常に骨の折れる草案を作ってもらい、山田肇君に校訂をおまかせした。....
廿九日の牡丹餅」より 著者:岡本綺堂
た。 二 千生はそれから小半時ほども話して帰ると、入れちがいに今戸の中田屋という質屋の亭主金助が来た。金助は晦日まえで、蔵前辺に何かの商売用があって....
地上」より 著者:島田清次郎
「冬子姐さんの母さんなの」 「うそ、冬子姐さんの叔母さんなんよ。――そら、裏の中田の二階にいらしった、あのお仕事の小母さんなのよ」 「あ、あの小母さんなの。―....
『田舎教師』について」より 著者:田山花袋
れば、こんな旅館にと思われるような帳場に放り出されてあるのを見たことがあった。「中田の遊廓に行ったなんて、うそだそうですよ。小説家なんて、ひどいことを書くもんで....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
しが二人乗っていられました。それからまだ次々と御供が続きます。御小休所は三丁目の中田屋という、北組第一の妓楼の本宅で、店とはすっかり別になっていて、大層立派な建....
棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
何が何やらサッパリわからず、まったく夢のような気持だ。今電話があったところだが、中田最高裁長官も驚いていられる」 もう一つは、臼島へ渡る当日、判事たちが乗った....