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中里
「中里〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
中里の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「千代女」より 著者:太宰治
めのペエジに大きい活字で印刷されて、たいへんな事になりました。私の家は、滝野川の
中里町にあります。父は東京の人ですが、母は伊勢の生れであります。父は、私立大学の....
「ふもれすく」より 著者:辻潤
野枝さんがイヤだというのでやめにしたのである。 染井からあまり遠くない滝の川の
中里というところに、福田英子というおばさんが住んでいた。昔大井憲太郎と云々のあっ....
「追憶」より 著者:芥川竜之介
は大旅行をしても、旅費は二十円を越えたことはなかった。僕はやはり西川といっしょに
中里介山氏の「大菩薩峠」に近い丹波山という寒村に泊まり、一等三十五銭という宿賃を....
「大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
かったが、従来の型の如き型を破った髷物《まげもの》小説は、僅かに、指折ってみて、
中里介山の「大菩薩峠」(都新聞)、国枝史郎の「蔦葛木曾桟《つたかずらきそのかけは....
「一坪館」より 著者:海野十三
んでいる大人に声をかけた。 「三軒茶屋だって、三軒茶屋はもう通りすぎたよ。ここは
中里だよ」 「へえッ通りすぎましたか」源一のおぼえている三軒茶屋は、大きな建物の....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
古に紫式部の源氏物語――近代に及んで曲亭馬琴の南総里見八犬伝――未来に至りまして
中里介山居士の大菩薩峠――」 大菩薩峠も、鐚の口頭に上ったことを光栄としなけれ....
「古典竜頭蛇尾」より 著者:太宰治
治氏の文章も、この伝統を受けついで居るかのように見える。小説家では、里見|※氏。
中里|介山氏。ともに教訓的なる点に於いて、純日本作家と呼ぶべきである。 日本文....
「生前身後の事」より 著者:中里介山
きたい。 第八 石碑、銅像、紀念碑の類は一切やめて、ただ大菩薩峠の上あたりへ「
中里介山居士之墓」とでも記した石を一つ押し立てればよろしい、併し遺骸はなるべくゆ....
「食べもの」より 著者:佐藤垢石
ほどの山田が、峡のかげに僅かに見えるばかりである。 多野郡の奥の裏秩父に接する
中里村、上野村、万場方面へ行くともっとひどい。米など愚かなこと、砂糖を知らなかっ....
「瀞」より 著者:佐藤垢石
と、さらに豊かだ。清冽の流水は、最上の小国川に比べてよいと思う。 上流の土樽、
中里あたりはまだ渓谷をなしていて、山女魚、岩魚の釣りばかりであるが、湯沢温泉まで....
「水の遍路」より 著者:佐藤垢石
、滴り落ちるこの川の水は、冷徹そのものである。鬼石の町から坂原を越え、万場へ出て
中里村、上野村へ入れば、次第に山の景観は深邃を加え、渓の魚も濃い。 赤城山上の....
「夏の夜の冒険」より 著者:平林初之輔
日日新聞の永戸《ながと》君なども一しょにはたらいていたのだ。 その当時、時国は
中里にすんでいた。私は田端にすんでいた。そして二人とも夜勤の番だったので、夕方の....
「昭和四年の文壇の概観」より 著者:平林初之輔
ている大仏《おさらぎ》次郎が、ひとり大衆文学界の寵を独占していた観がある。それは
中里介山が完全に沈黙し、白井喬二が次第に勢力を失って、今や、大衆文学壇において、....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
綸は決して空疎でなかった。もし小説に仮托するなら矢野龍渓や東海散士の向うを張って
中里介山と人気を争うぐらいは何でもなかったろう。二葉亭の頭と技術とを以て思う存分....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
》の花を一りんのかつらの枝《えだ》にさかせてぞみる 江村飛雪 酒かひにゆきの
中里《なかざと》ひとすぢにおもひ入江《いりえ》の江戸川《えどがわ》の末《すえ》 ....