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主観性
「主観性〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
主観性の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
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「詩の原理」より 著者:萩原朔太郎
等が批判される。この意味でいわれる哲学とは、哲学的精神に於ける究極のもの、即ち「
主観性」について言われるのである。故に「哲学がない」と言うことは、
主観性の掲げる....
「科学論」より 著者:戸坂潤
、又は「認識の限界」という限界概念(H・コーエンによる)でもいい、そうした何等か
主観性・観念性を根拠とした概念を持って来るべきだ、というのである*。 * カント....
「技術の哲学」より 著者:戸坂潤
テンポの愛好という一定の好みを生んでいるのを見る。好みとか趣味とかは、単に随意や
主観性をしか持たないものではなく、実は各個人に固有な意識形態が、極めて端的で直接....
「イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
されて了う。真理と虚偽との中から真理を選択させるものが、プロレタリアの階級意識の
主観性とを無媒介に対立させて、之かあれかを問うことなどは、独りよがりな饒舌家がし....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
するものである、その限り此等は確かに主観的ではある。けれども実質的合目的性のもつ
主観性は決して単に、合目的的でないものを主観が合目的的であるかのように表象するこ....
「認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
克服するかの道筋を説明するものなのだ。 だから真理の階級性は、真理の相対主義的
主観性を指向しようとするのではなく、却って、相対的な現実の真理事情のもつ客観的な....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
る今日の流行には、可能的ケースの比較商量から云えば、多分の偶然性が、そして多分の
主観性さえが、介在しているのに気がつく。 ロシアに十月革命が来た。シェストーフ....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
、統制の主観があって、その意志発動として成立するのである。して見れば放送内容の非
主観性というのは、実は却って、単に言論統制の主観の
主観性のことでしかない。この主....
「辞典」より 著者:戸坂潤
産物であり而も主観の主観的案出による産物であることに変りはない。この意味に於ける
主観性は仮説の免れない特色をなす。ポアンカレ 〔H. Poincare'〕 など....
「ヤミ論語」より 著者:坂口安吾
を外れたものに思われる。 私は思う。現実に堕落タイハイとよぶべきものは、かゝる
主観性の安易な流行である、と。パンパンなどは、まだしも、自ら正義化していないから....
「哲学入門」より 著者:三木清
在は自己の譲渡によって自己が自己の前に投射した客観に専ら相対的であり、従って真の
主観性を失っている。いわゆる主観は真の
主観性ではない。従来の主観・客観の概念にお....
「範疇としての空間に就いて」より 著者:戸坂潤
からである。併しながらこのような意味に於ける先験性からは或る人々の考えるようには
主観性は出て来ない。何故ならば已に私は最初に一般に存在論的範疇――それは主観的で....
「カントと現代の科学」より 著者:戸坂潤
カントから離れると云わねばならぬ。併し之とても実在認識とはある関係を吾々に固有な
主観性に与えられた形式によって云い表わすことであるというカントの根本精神に基くも....
「親鸞」より 著者:三木清
内在的なものが超越的であるところに、真の内面性は存するのである。内面性とは空虚な
主観性ではなく、かえって最も客観的な肉体的ともいい得る充実である。 五濁悪世の....
「郷愁の詩人 与謝蕪村」より 著者:萩原朔太郎
の詩境が限定されて、平面的のものになってしまうし、かつ「生きて働く」という言葉の
主観性が、実感的に強く響いて来ない。ついでに言うが、一般に言って写生の句は、即興....