主観的観念論[語句情報] » 主観的観念論

「主観的観念論〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

主観的観念論の前後の文節・文章を表示しています。該当する5件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
道徳の観念」より 著者:戸坂潤
の世界がこの自我からの発展だというのである。我はフィヒテにとっては、ドイツ哲学的主観的観念論のパンドーラの箱に他ならない。而もこの我がフィヒテの倫理学の枢軸だっ....
読書法」より 著者:戸坂潤
接縁故のあるのは、寧ろ評論家思想家としてのグルモンだろう。そのグルモンは、自分は主観的観念論だというヨーロッパのブルジョア文化人と共通な仁儀を述べているが、併し....
科学論」より 著者:戸坂潤
学を採用するかは、その人が如何なる人となりであるかによるのだ、と代表的なドイツ式主観的観念論者、フィヒテなどは、断言している。 だが他方範疇は実は事物そのもの....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
。 従ってもし万一私の出したこの一例から、石原博士が不確定性原理から導かれ易い主観的観念論の誤謬と、その際に考えられている電子観測なるものが実は一つの思考実験....
「若い息子」について」より 著者:宮本百合子
基本としているものである。 「若い息子」について。 ○ボグダーノフのみが彼の主観的観念論によって、過去の遺産をプロレタリア文化建設から排撃したのである。 ○....