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「乃〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

乃の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
文章」より 著者:芥川竜之介
まった。保吉は新内《しんない》を愛するように諸宗の読経をも愛している。が、東京|至《ないし》東京近在の寺は不幸にも読経の上にさえたいていは堕落《だらく》を示し....
邪宗門」より 著者:芥川竜之介
未来《じんみらい》まで吠え居ろうぞ。ましてその天上皇帝の遺《のこ》された、摩利信法師《まりしのほうし》に笞《しもと》を当つるものは、命終の時とも申さず、明日《....
十円札」より 著者:芥川竜之介
。語学的天才たる粟野さんはゴッホの向日葵《ひまわり》にも、ウォルフのリイドにも、至《ないし》はヴェルアアランの都会の詩にも頗《すこぶ》る冷淡に出来上っている。....
片恋」より 著者:芥川竜之介
だい》してくれた事がある。何しろYの事だから、床の間には石版摺《せきばんず》りの木《のぎ》大将の掛物がかかっていて、その前に造花《ぞうか》の牡丹《ぼたん》が生....
女体」より 著者:芥川竜之介
た時に、彼の驚きは果してどれくらいだった事であろう。彼は、愛も憎《にくし》みも、至《ないし》また性欲も忘れて、この象牙《ぞうげ》の山のような、巨大な乳房《ちぶ....
素戔嗚尊」より 著者:芥川竜之介
も知れないさ。しかしそのくらいな事はあっても、刀なり、玉なり、鎧《よろい》なり、至《ないし》はまた馬の一匹なり、君の手にはいった方が――」 「ですがね、もし先....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
にならないことはない。更に甚しい場合を挙げれば、以前或名士に愛されたと云う事実|至《ないし》風評さえ、長所の一つに数えられるのである。しかもあのクレオパトラは....
忠義」より 著者:芥川竜之介
こう思った。)当主は「家」の前に、犠牲にしなければならない。ことに、板倉本家は、祖《だいそ》板倉四郎左衛門|勝重《かつしげ》以来、未嘗《いまだかつて》、瑕瑾《....
海のほとり」より 著者:芥川竜之介
がら、里見八犬伝《さとみはっけんでん》を読みはじめた。きのう僕の読みかけたのは信《しの》、現八《げんぱち》、小文吾《こぶんご》などの荘助《そうすけ》を救いに出....
妖婆」より 著者:芥川竜之介
中にも、きっと赤い紙屑が一つある――活動写真の広告だとか、千代紙の切れ端だとか、至《ないし》はまた燐寸《まっち》の商標だとか、物はいろいろ変《かわっ》ていても....
性急な思想」より 著者:石川啄木
凡《すべ》ての夫が妻ならぬ女に通じ、凡ての妻が夫ならぬ男に通じても可いものとし、至《ないし》は、そうしない夫と妻とを自覚のない状態にあるものとして愍《あわ》れ....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
等の中から選ばれるようになりました。むろん例外はありましょうが、現在では数百年前至千|年二千|年前に帰幽した人霊が、守護霊として主に働いているように見受けられ....
梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
は清浄なものとしてあるのだが、それらのことが柏餅を生み椿餅を生み、そして編笠餅や至桜餅を生んだと見ても差支えないように考える。 殊に昔、支那や朝鮮の種族が、....
一利己主義者と友人との対話」より 著者:石川啄木
ている。そうじゃないか。人は誰でも、その時が過ぎてしまえば間もなく忘れるような、至は長く忘れずにいるにしても、それを言い出すには余り接穂がなくてとうとう一生言....
佐藤春夫氏の事」より 著者:芥川竜之介
、その思想を彩るものは常に一脈の詩情なり。故に佐藤はその詩情を満足せしむる限り、木大将を崇拝する事を辞せざると同時に、大石内蔵助を撲殺するも顧る所にあらず。佐....