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九十九里浜
「九十九里浜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
九十九里浜の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
が九日。十日は早目に帰京するつもりでいたところ、朝五時半から敵機動部隊が鹿島洋、
九十九里浜沖から艦載機をぶんぶんとばすので、夕刻まですっかり平磯館に閉じこめられ....
「正義と微笑」より 著者:太宰治
途を笑って祝福しておくれ。 さらば。 四月四日。火曜日。 晴れ。僕はいま、
九十九里浜の別荘で、とても幸福に暮している。きのう、兄さんに連れられてやって来た....
「怪塔王」より 著者:海野十三
その怪塔王をはじめてみたのは、ついこの夏のはじめでありました。 そこは千葉県の
九十九里浜というたいへん長い海べりでありました。一彦は中学の一年生であり、ミチ子....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
島崎。しらはま。和田の浦。江見。安房《あわ》鴨川。東浪見――。
そと海に出て、
九十九里浜。
松尾。千潟《ちがた》。外川《とがわ》。
屏風《びょうぶ》ヶ浦よ....
「光は影を」より 著者:岸田国士
らすぐ、広東へ廻され、着いたとたんに、内地へ帰れだろう。どうするのかと思つたら、
九十九里浜の防備さ。終戦と同時に復員はよかつたんだが、おれは、君のことが気がかり....
「藤九郎の島」より 著者:久生十蘭
》十二人が乗組んで南部へ米を運んだ帰り、十一月末、運賃材木を積んで宮古港を出帆、
九十九里浜の沖合まで来たところで、にわかの時化《しけ》に遭った。海面《うなづら》....
「自作肖像漫談」より 著者:高村光太郎
いほどの狂燥状態となり、一方父は胃潰瘍となり、その年父は死去し、智恵子は転地先の
九十九里浜で完全な狂人になってしまった。私はその頃の数年間家事の雑務と看病とに追....
「智恵子の半生」より 著者:高村光太郎
嬰児のように私がさせた。私も医者もこれを更年期の一時的現象と思って、母や妹の居る
九十九里浜の家に転地させ、オバホルモンなどを服用させていた。私は一週一度汽車で訪....
「昭和遊撃隊」より 著者:平田晋策
がら、とうとう九月三十日の明けがたはやく、房総半島の東、黒潮の急流をのりこえて、
九十九里浜の沖へせまった。 「さあ、いよいよ最後の総攻撃だぞ。」 フーラー博士....
「手長と足長」より 著者:喜田貞吉
本武尊東征の際の膳夫は七掬脛だとある。八掬脛よりはやや短いが、これは百里に足らぬ
九十九里浜の類で、やはり長髄彦の仲間として、足長族たることを示している。 古代....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
さんに負うところが大きいのも書き添えねばなりません。 昭和廿一年正月|下浣 総州
九十九里浜の寓居にて 著者 貴方がたはとくと考えられたことがあるでしょうか、今....