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二軍
「二軍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
二軍の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
た。画家や写真班はともあれ、記者一人ではどうにもなりません。軍の方では第一軍、第
二軍、第三軍、第四軍を編成して、それが別々の方面へ向って出動するのに、一人の記者....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
迂廻し、東北岸鼓の浦に上陸し、博奕尾の険を越え、塔の岡の陶本陣の背面を攻撃し、第
二軍は、宮尾城の城兵と協力し、元就軍の本軍が鬨の声を発するを機とし、正面より陶の....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
の激戦の様を記しているのである。他の諸隊も皆この通りであっただろう。とにかく甲越
二軍の精兵が必死に戦ったのであるから、猛烈を極めただろう。後年大阪陣の時抜群の働....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
一軍(二万五千)として、近江甲賀郡|土岐多羅越より、甥三好秀次、中村|一氏等を第
二軍(二万)として大君畑越より、秀吉自らは第三軍(三万)を率いて安楽越よりして、....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
月二十九日の午前二時、士民の哀号の声の中を西大門を出たのである。 行長、清正の
二軍は、忠州に相会した後再び路を分って進み、五月二日の夕方に清正は南大門から、行....
「田舎教師」より 著者:田山花袋
、臨時議会の開院、第二回閉塞運動、広瀬中佐の壮烈なる戦死、第一軍の出発につれて第
二軍の編制、国民は今はまじめに戦争の意味と結果とを自覚し始めた。野はだんだん暖か....
「小説 不如帰 」より 著者:徳冨蘆花
、聞きつる履歴を時々思い出でては、心こめたる贈り物の一書をひもとけるなり。 第
二軍は十一月二十二日をもって旅順を攻め落としつ。 「お母さま、お母さま」 新聞....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
分に見物をしておいでなさるに違いない、我々は、われわれとして、入り代りにひとつ第
二軍を実行させてもらいましょう。どうです、江戸のあのお医者の先生にも少し逗留《と....
「明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
卒」一篇を見る場合感じられる。その差異については、後で触れるが、また、花袋の「第
二軍従征日記」を取って見ると、やはりそこには、戦争と攻撃を詩のようだとした讃美が....
「蜻蛉返り」より 著者:佐藤垢石
そこで、まず一尾の前衛が湾の入口へ泳ぎついて安全とみれば、湾内へ入る。続いて第
二軍、第三軍が入り、最後に本隊が入るという順序になるのだけれど、もし少しでも物騒....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
送りこし候まゝ、筋違ひのつまらぬものなれども、一冊拝呈仕候。此戦役の前半、即ち第
二軍に於ける兵站衛生作業、南山役、得利寺役(大石橋、蓋平小戦)、遼陽戦なれども、....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
置いていたので、宣戦前から編集上の仕事が非常に忙がしくなった。わたしは更に出征第
二軍の従軍記者として戦地へ出張することになった。それらの事情から、とても芝居|覗....
「病」より 著者:正岡子規
ましく感じたらしい。この船は我船より後《おく》れて馬関へはいったのである。殊に第
二軍司令部附であった記者は、大山大将が一処に帰ろといわれたのを聴かずに先へ帰って....
「三国志」より 著者:吉川英治
ひとつ貴下の手勢をもって、急に援軍におもむいてもらえまいか。 賊の張梁・張宝の
二軍が敗れたりと聞えれば、自然、広宗の賊軍も、戦意を喪失し、退路を断たれることを....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
は方面軍を必要としありしも遂に、ここに着意する能わずして、第一・第二・第三軍を第
二軍司令官に指揮せしめ、国境会戦にてフランス第五軍を逸する一大原因をなせり。 ....