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井伊
「井伊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
井伊の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古千屋」より 著者:芥川竜之介
しようとは言わなかった。
二
すると同じ三十日の夜《よ》、
井伊掃部頭直孝《いいかもんのかみなおたか》の陣屋《じんや》に召し使いになっていた....
「本州横断 癇癪徒歩旅行」より 著者:押川春浪
して薨去《こうきょ》された処《ところ》で、その薨去が余り急激であったため、一時は
井伊掃部頭《いいかもんのかみ》の刺客の業だと噂されたという事だ。 (五)....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
の家老たちは、家康から一たまりもなく叱り飛ばされて散々の首尾であった。 「今日|
井伊藤堂《いいとうどう》の勢《ぜい》が苦戦したを、越前の家中の者は昼寝でもして、....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
て、一種の予言めいたことを信者たちに云い聞かせた。今年はおそるべき厄年であって、
井伊大老の死ぐらいは愚かなことであり、五年前の大地震、四年前の大風雨、二年前の大....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
死しては衆も寡もない。今川勢は全く浮足たって仕舞った。 今川の部将、松井宗信、
井伊直盛等が本営の前方十町計りの処に屯して居たが、急を聞いて馳せ戦ったが悉く討死....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
の首級は、暑気の折から損ずるだろうと云うので、家康に抜露しなかった。所がその夜、
井伊|掃部頭の陣中にいた女が、痞おこり譫言を口走る。「我も一手の大将なり。然るに....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
すべき由云い送った。天正十三年の事である。 家康怒って、大久保忠世、鳥居元忠、
井伊直政等に攻めさせた。 それを、昌幸が相当な軍略を以て、撃退している。小牧山....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
れて居たことはわかる。 亦此の陣で、関白が僅か十四五騎ばかりで居たことがある。
井伊直政は今こそ秀吉を討ち取る好機だと、家康に耳語したところ、「自分を頼み切って....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
実を攻めた時だともいうが、其時は氏郷のみでは無く、秀次、徳川、堀尾、浅野、伊達、
井伊等大軍で攻めたのだから、何も氏郷が小小姓まで駈出させることは無かったろう。此....
「犬神娘」より 著者:国枝史郎
都から抜け出させて、薩摩へ落とすよう計らいましたのは、近衛殿下なのでございます。
井伊様がご大老にお成りになられるや、梅田源次郎様や池内大学様や、山本槇太郎様とい....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
尾州大納言、紀州中納言、越前、薩摩、伊達、細川、黒田、毛利、鍋島家、池田、浅野、
井伊、藤堂、阿波の蜂須賀、山内家、有馬、稲葉、立花家、中川、奥平、柳沢、大聖寺の....
「経帷子の秘密」より 著者:岡本綺堂
一 吉田君は語る。 万延元年――かの
井伊大老の桜田事変の年である。――九月二十四日の夕七つ半頃(午後五時)に二挺の駕....
「三十年前の島田沼南」より 著者:内田魯庵
芳ばしからぬ噂であった。ツイその数日前の或る新聞にも、「開国始末」で冤を雪がれた
井伊直弼の亡霊がお礼心に沼南夫人の孤閨の無聊を慰めに夜な夜な通うというような擽ぐ....
「仏法僧鳥」より 著者:斎藤茂吉
るのは当山の蛇柳です』 『右手鳥居なかの一本は奥州仙台伊達政宗公。赤いおたまやは
井伊かもんの守』こういうことを幕無しに云って除けた。 『太閤様が朝鮮征伐のとき、....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
るに貞享二年の「蓮公年譜」に至っては、遠く藤原鎌足からその系図を引いて、彦根藩主
井伊氏の一族となし、「伝に曰く本姓三国、後藤原に転ず」と云っているのである。かく....