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「享保〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

享保の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
死後」より 著者:芥川竜之介
いんねんじょすいしょう》と言う本を読んでいた。これは和漢|天竺《てんじく》の話を享保頃の坊さんの集めた八巻ものの随筆である。しかし面白い話は勿論、珍らしい話も滅....
籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
ろく》だけであった。彼はそのほかに千両の金と村正《むらまさ》の刀とを持っていた。享保《きょうほう》三年の冬は暖かい日が多かったので、不運な彼も江戸入りまでは都合....
河明り」より 著者:岡本かの子
の廻船によって商いする問屋はだんだん殖え、大阪で二十四組、江戸で十組にもなった。享保時分、酒樽は別に船積みするという理由の下に、新運送業が起った。それに倣って、....
鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
をするわけであるから、多少の聞き違いがあるかも知れない。その話は大体こうである。享保十一年に八代将軍吉宗は小金ヶ原で狩をしている。やはりその年のことであるという....
備前天一坊」より 著者:江見水蔭
一 徳川八代の将軍|吉宗の時代(享保十四年)その落胤と名乗って源氏坊天一が出た。世上過ってこれを大岡捌きの中に編....
茶屋知らず物語」より 著者:岡本かの子
元禄|享保の頃、関西に法眼、円通という二禅僧がありました。いずれも黄檗宗の名僧|独湛の....
画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
した。大正六年に京都行啓の砌、京都市公会堂で、梅の木を配して鶯の初音をきいている享保時代の娘を描きました。初音と題しました。次は大正七年文展会場で、藤原時代の紅....
黄八丈の小袖」より 著者:岡本綺堂
を投げ返したままで、お菊は又そこを逃げるように通りぬけて、材木置場の入口へ出た。享保十二年九月三日の夕方で、浅黄がやがて薄白く暮れかかる西の空に紅い旗雲が一つ流....
雪柳」より 著者:泉鏡花
も、しびれるほどで感じがない。…… 今も講談に流布する、怪談|小夜衣草紙、同じ享保の頃だという。新吉原のまざり店、旭丸屋の裏階子で、幇間の次郎庵が三つならんだ....
迷信解」より 著者:井上円了
これらの例によりて、マジナイの効験なきことは大略分かるであろう。『安斎随筆』に、享保年中の辻売りの秘伝に、「鰹に酔わざる法」と題し、その中に、「新しき魚をえらび....
拷問の話」より 著者:岡本綺堂
江戸の町奉行所で察斗詰の例は極めて稀であった。士分の者にはその例がない、町人でも享保以後わずかに二人に過ぎないという。そういう稀有の例であるから、老中の方でも最....
かたき討雑感」より 著者:岡本綺堂
代に入っていよいよ盛になったのは誰も知る通りである。しかもそれが最も行われたのは享保以前のことで、その後はかたき討もよほど衰えた。 幕府の方針として、かたき討....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
には最う上方|人に賞翫されていたものと見える。江戸に渡ったのはいつ頃か知らぬが、享保板の『続江戸|砂子』に軽焼屋として浅草誓願寺前|茗荷屋九兵衛の名が見える。み....
」より 著者:上村松園
謡の「砧」に取材したものですが、章句の中には格別に時代が決定されていませんので、私の自由に徳川時代元禄から享保頃迄の人物にこれを表現してみました。最初は横物にして腰元の夕霧も描くつもりで....
帯の巾が広すぎる」より 著者:上村松園
が出来、これが変化して今日の帯となったのでございます。確かなことは申せませんが、享保年間の帯巾は五、六寸位であったと思います。そして元禄時代の振袖は一尺七、八寸....