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人付
「人付〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
人付の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
すと、武者はうなずいて馬に一鞭あてた。つづいて十騎二十騎、あとには徒の者も七八十
人付き添って、あき草の中を泳いで通った。 「もうよい。みな行き過ぎてしもうた。」....
「山椒魚」より 著者:岡本綺堂
籠屋の門口を出た。連れの女学生一人と、東京から引き取りに来た男三人と、宿の者も二
人付き添って、町はずれの方へ無言でたどって行った。学生二人も少しおくれて、やはり....
「鼠」より 著者:岡本綺堂
った。お糸は色白の上に容貌も悪くない。小さいときから苦労をして来たというだけに、
人付合いも悪くない。それやこれやで近所の評判もよく、伊平さんはよい娘を拾い当てた....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
した。で、与力には同心が四、五人ぐらいずつ付いている、同心の下には岡っ引が二、三
人付いている、その岡っ引の下には又四、五人の手先が付いているという順序で、岡っ引....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
いうような事でまず翌日はその人の宅へ行くことにきまったです。
荷物だけ積んで人一
人付いて送ってくれまして、これから先はむつかしくはない、今夜一晩野原に泊りさえす....
「女強盗」より 著者:菊池寛
で、ちょっとあると答えると、しばらくして一頭の駿馬に、水干装束をした下人が二、三
人付いてやって来た。 すると女は、男をその家の納戸のような部屋へ案内した。外出....
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
くはございませんが、なれども村方でも大尽《だいじん》の娘と思う拵《こしら》え、一
人付添って来たのは肩の張ったお臀《しり》の大きな下婢《おんな》、肥《ふと》っちょ....
「濹東綺譚」より 著者:永井荷風
》光子《みつこ》を迎えた。 光子は知名の政治家|某《なにがし》の家に雇われ、夫
人付の小間使となったが、主人に欺かれて身重になった。主家では其《その》執事遠藤某....
「モルガンお雪」より 著者:長谷川時雨
っているところにお雪は平安に暮してはいる。しかし、日本人ぎらいの名がたつと、誰一
人付きあったというものがない。 マロニエの若葉に細かい陽光の雨がそそいでいるあ....
「曙覧の歌」より 著者:正岡子規
瀏覧《りゅうらん》に供せんとす。歌と伝と相照し見ば曙覧翁眼前にあらん。 竹の里
人付記 〔『日本』明治三十二年四月二十三日〕....
「源氏物語」より 著者:紫式部
どもこちらへ来たのである。紫夫人もこのついでに中宮へお目にかかった。中宮付き、夫
人付き、姫君付きの盛装した女房のすわっているのが数も知れぬほどに見えた。裳を付け....
「源氏物語」より 著者:紫式部
が六条院でもあることになっていたが、導師の来るのが遅くなって、日が暮れてから各夫
人付きの童女たちが見物のために南の町へ送られてきて、それぞれ変わった布施が夫人た....
「源氏物語」より 著者:紫式部
た。この人たちは若いころに院の御愛人であったが、須磨へおいでになった留守中から夫
人付きになっていて、皆女王を愛していた。他の夫人の中には、どんなお気持ちがなさる....
「源氏物語」より 著者:紫式部
乗っていた。それには古い知り合いの女御の乳母が陪乗したのである。女房たちの車は夫
人付きの者のが五台、女御のが五台、明石夫人に属したのが三台で、それぞれに違った派....
「なりひら小僧」より 著者:山中貞雄
行く。後追って半狂乱の君江と長七が出て来る。 其処へ一丁の乗物が着く。 侍二
人付き添って甲の侍が君江に、 T「雲霧主膳様からのお迎えで御座る」 ヘッと長七....