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人和
「人和〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
人和の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「小田原陣」より 著者:菊池寛
からである。謙信など長駆して来て、小田原を囲んだが、懸軍百里の遠征では、糧続かず
人和せず、どうにも出来なかった。ただ城濠の傍近く馬から下り、城兵に鉄砲の一斉射撃....
「愛と認識との出発」より 著者:倉田百三
がありません。聖書のなかにも「童子|街に立ちて笛吹けども、人躍らず、悲歌すれども
人和せず」と書いてあります。これは私にとってどんなに淋しいことであったでしょう。....
「戦争はわたしたちからすべてを奪う」より 著者:宮本百合子
」崇拝に導いて、「桂冠詩人としての日本武尊だの、万葉の歌人たち、或いは恋愛の女詩
人和泉式部の再発見という風に進んだ。日本の文学は、そのように古典を学んだことで、....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
はもう有頂天になっているのだ。
「いや。人間一生は七転び八起きさ、そりゃア奥州浪
人和田宗右衛門とおっしゃるりっぱなお武家《ぶけ》の娘御と生まれた身が、こうして芸....
「新女大学」より 著者:福沢諭吉
孫に病質を遺して其身体を虚弱ならしむるのみならず、不徳の悪風も亦共に遺伝して、家
人和合の幸福は固より望む可らず。甚だしきは骨肉相争い、親戚陰に謀り、家名の相続、....
「稚子法師」より 著者:国枝史郎
しょう。私事は司門と申して此真田家の五代前の主人に仕えていたものでござります。主
人和泉の朋友に但馬という方がござりました。そして其方のお妹御に雪と申すお娘御がご....
「この握りめし」より 著者:岸田国士
も知れぬとさえ考えられた。法律は正しいものを守るために存在するとすれば、信濃屋主
人和島佐五郎と、文無し画家岡本弘とを比べてみて、直ちに、岡本に非ありとは断じかね....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
て承知だ!」と猪之松も嬉しそうに決然と云った。 「これまでのもつれ水に流して、二
人和解し親しくなろうぜ」 この時木陰から声がかかった。 「この要介も大賛成じゃ....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
* 七月××日の夜のことであった。正成の天王寺の陣営で、河内の国の住
人和田孫三郎は、額の汗をふきふき、正成へ情勢を報知せていた。 「……そのような事....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
のによってもっぱら書いた。書く自信をつよめられた。 これは大乗院の僧|朝舜の知
人和田某が、湊川合戦の直後(約一ヵ月後)神戸へ出むき、同地で見聞して帰ったことの....