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「人日〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

人日の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大導寺信輔の半生」より 著者:芥川竜之介
英語の小説などを貸した。彼は四学年を卒業した時、こう言う借りものの小説の中に「猟人日記」の英訳を見つけ、歓喜して読んだことを覚えている。が、「教育上の責任」は常....
追憶」より 著者:芥川竜之介
は西川と同級だったために少なからず啓発を受けた。中学の四年か五年の時に英訳の「猟人日記」だの「サッフォオ」だのを読みかじったのは、西川なしにはできなかったであろ....
母子叙情」より 著者:岡本かの子
むす子が、だいぶ経験も積んで、巴里郊外の高等学校の予備校の寄宿舎に、たった一人日本人として寄宿した経験談も出た。むす子はそこでフランスの学生と同等に地理や歴....
獄中消息」より 著者:大杉栄
文集、早稲田の時代史。 欧文のものを禁ぜられたのではなはだ困っているが、露は猟人日記、独はゲーテ文集、この二つを幾度も繰返して読むつもりだ。猟人日記の持主に、....
現代の詐術」より 著者:坂口安吾
を献納する者がある、これを美談だという。この性格と璽光様とは変らぬ。 我々中世人日本の国はまだ自らの蒙昧を自覚するところにも至っておらぬ。蒙昧とは罪悪であるこ....
「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
来ない。そこでわたしは彼に応じて、遂に文章を作った。それがすなわち最初の一篇「狂人日記」である。一度出してみると引込んでいることが出来なくなり、それから先きは友....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
山に帰る聖賢の清く、淋しき諦観が彼にもあったのだ。絶叫し、論争し、折伏する闘いの人日蓮をみて、彼を奥ゆかしき、寂しさと諦めとを知らぬ粗剛の性格と思うならあやまり....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
心痛事があったのである。ほかでもないが、一粒種の東太の智能が低いのである。父は素人日本一とうたわれた碁の打ち手、母とても結婚後習い覚えた碁が東太が三ツになる時に....
落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
目明の鼻介は十手の名人日本一だという大そうな気取りを持っていた。その証拠として彼があげる自慢の戦績を....
兄妹」より 著者:岡本かの子
風に微動する程にも感動しないだろう。(自然が人間に対する無関心はツルゲニエフの猟人日記中、森で樵夫が倒れ、大木の下積みになりその大木が樵夫を殺す作を見てから兄が....
秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
メキシコのために妨害されるかもしれないことを惧れた結果なのであった。つまり自分一人日本の寵児になろうとしたのであって、秀吉のために横面を撲られて恐怖した彼が、家....
白峰の麓」より 著者:大下藤次郎
たものだと感心する。 十四 山小屋の秋の一夜。私はツルゲネフの『猟人日記』を思いうかべつつ、再び遭うことの難かるべきこの詩的の一夜を、楽しく過さん....
欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
万人と称す。この七万人は三千七百万人の一部分にして、みな同一種の日本人たり。西洋人日本に来たりて、わが僧侶の品行下等の地位にあるを見れば、その国に帰りて必ず人に....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
司馬|達等の子多須那が出家して、徳斉法師といったとある。推古天皇朝の留学僧|新漢人日文を後に旻法師ともいっている。大化元年紀には、沙門狛大法師僧歌」として、「法....
本所両国」より 著者:芥川竜之介
えたものは何よりも先に「お竹倉」だったであろう。僕は中学を卒業する前に英訳の「猟人日記」を拾い読みにしながら、何度も「お竹倉」の中の景色を――「とりかぶと」の花....