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仁
「仁〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
仁の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「浅草公園」より 著者:芥川竜之介
1
浅草《あさくさ》の
仁王門《におうもん》の中に吊《つ》った、火のともらない大提灯《おおじょうちん》。....
「父」より 著者:芥川竜之介
。
「あの先生には、僕も叱られた。」
「遅刻で?」
「いいえ、本を忘れて。」
「
仁丹《じんたん》は、いやにやかましいからな。」「
仁丹」と云うのは、能勢が馬場教諭....
「戯作三昧」より 著者:芥川竜之介
、出るそうでございますな。いずれ優美第一の、哀れっぽいものでございましょう。あの
仁《じん》の書くものは、種彦でなくては書けないというところがあるようで。」
市....
「邪宗門」より 著者:芥川竜之介
の形となって、白毫光《びゃくごうこう》を放ったとある。また仏眼寺《ぶつげんじ》の
仁照阿闍梨《にんしょうあざり》を日毎に凌《りょう》じに参ったのも、姿は女と見えた....
「開化の良人」より 著者:芥川竜之介
みそ》めもし見染められもしたと云う次第なのです。何しろ萩寺と云えば、その頃はまだ
仁王門《におうもん》も藁葺《わらぶき》屋根で、『ぬれて行く人もをかしや雨の萩《は....
「彼」より 著者:芥川竜之介
ちを口にしなかった。彼は、――僕は未《いま》だに覚えている。彼はただ道に沿うた建
仁寺垣《けんにんじがき》に指を触《ふ》れながら、こんなことを僕に言っただけだった....
「湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
》を除けば、目ぼしい支那の革命家は、――黄興《こうこう》、蔡鍔《さいがく》、宋教
仁《そうきょうじん》等はいずれも湖南《こなん》に生れている。これは勿論《もちろん....
「貉」より 著者:芥川竜之介
《まじ》ったにしろ、人並に唄を歌った事だけは事実らしい。
それより以前にも、垂
仁紀《すいにんき》を見ると、八十七年、丹波《たんば》の国の甕襲《みかそ》と云う人....
「葱」より 著者:芥川竜之介
かに美しかったかは問うを待たない。歳暮《せいぼ》大売出しの楽隊の音、目まぐるしい
仁丹《じんたん》の広告電燈、クリスマスを祝う杉の葉の飾《かざり》、蜘蛛手《くもで....
「温泉だより」より 著者:芥川竜之介
らば、わたしもこんなことを言いたくはありません。が、棟梁、お前《まえ》さんの靴は
仁王様《におうさま》の草鞋《わらじ》も同じなんだから」と頭を下《さ》げて頼んだと....
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
るのである。この故に政治的天才の悲劇は必ず喜劇をも兼ねぬことはない。たとえば昔|
仁和寺《にんなじ》の法師の鼎《かなえ》をかぶって舞ったと云う「つれづれ草」の喜劇....
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
》第七の王子、二品中務親王《にほんなかつかさしんのう》、六代の後胤《こういん》、
仁和寺《にんなじ》の法印寛雅《ほういんかんが》が子、京極《きょうごく》の源大納言....
「忠義」より 著者:芥川竜之介
御徒組頭|久下善兵衛《くげぜんべえ》、御徒目付土田|半右衛門《はんえもん》、菰田
仁右衛門《こもだにえもん》、などが駈けつける。――殿中では忽ち、蜂《はち》の巣を....
「馬の脚」より 著者:芥川竜之介
く》や同僚は未亡人《びぼうじん》常子にいずれも深い同情を表《ひょう》した。
同
仁《どうじん》病院長|山井博士《やまいはかせ》の診断《しんだん》に従えば、半三郎....
「県歌 信濃の国」より 著者:浅井洌
姨捨山 しるき名所と風雅士が 詩歌に詠みてぞ伝えたる 五 旭将軍|義仲も
仁科の五郎|信盛も 春台太宰先生も 象山佐久間先生も 皆|此国の人に....