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仏弟子
「仏弟子〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
仏弟子の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「尼提」より 著者:芥川竜之介
竹や芭蕉《ばしょう》の中の路《みち》を尼提が一人歩いて来るのに出会った。彼の姿は
仏弟子《ぶつでし》になっても、余り除糞人《じょふんにん》だった時と変っていない。....
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
ない。おれ一人|衆苦《しゅうく》の大海に、没在《ぼつざい》していると考えるのは、
仏弟子《ぶつでし》にも似合わぬ増長慢《ぞうじょうまん》じゃ。『増長驕慢《ぞうじょ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
と、ついあさはかなことを考えたのが、こんな人騒がせのもとになったのでござります。
仏弟子にもあるまじき不浄のねたみ心、まことになんとも面目しだいもござりませぬ……....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
曹洞派《そうどうは》の流れをうけた男禁制の清浄このうえない尼僧道場で、当時ここに
仏弟子《ぶつでし》となって勤行《ごんぎょう》観経《かんきん》怠りない尼僧たちは、....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
少年僧は恐るるけはいもなくちょこちょこと前へ進みながら、さすがは作法に育てられた
仏弟子《ぶつでし》だけあって、活発にあいさつをいたしました。けれども、まだなんと....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
うものを持ち出す筈がありません。狐や狸は尊い仏を恐れる筈です」 それは如何にも
仏弟子らしい解釈であった。半七は又それと違った解釈で、時光寺の住職の正体が狐でな....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
俗界の掟を以てしても、再び追うことならぬ慈悲の精舎じゃ。衆生済度を旨と致すわれら
仏弟子が、救いを求めてすがり寄る罪びとを大慈大悲の衣の袖に匿うたとて何の不思議が....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
る和尚の沈着な様子が容易にそれを切り出させないからであった。それに、彼はこの人が
仏弟子ながら氏神をも粗末にしないで毎月|朔日十五日には荒町にある村社への参詣を怠....
「般若心経講義」より 著者:高神覚昇
て、 「世尊よ、私はどうしてこんなに愚かな人間でございましょうか。私はもうとても
仏弟子たることはできません」 この時、釈尊の彼にいわれたことこそ、実に意味ふか....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
似て非なる者を、仏経には烏骨鶏《うこっけい》に比した。 六群|比丘《びく》とて
仏弟子ながら、毎《いつ》も戒律を破る六人の僧あり。質帝隷居士、百味の食を作り、清....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
るわけにもゆかんて。」和尚はさも当惑したもののように言った。「折角俺を頼って来た
仏弟子を、修業半ばに追い返したんじゃ、仏様に対して俺が相済まんわけじゃ。でお前に....
「連環記」より 著者:幸田露伴
食をとどめたと云う噂さえ、大鏡にのこり伝わっているほどである。頭陀行というのは、
仏弟子たるものの如法に行うべき十二の行をいうので、何も乞食をするのみが唯一の事で....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
許すまい。狂言綺語《きょうげんきぎょ》といって、文字のあやでさえもよしとはしない
仏弟子が、進んで芝居をやり出そうとは思われぬ。してみると、これはつまり、坊さん役....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
のである。それを字義通りに大切にするために佛が滅せられた年の七月に大迦葉が五百の
仏弟子を集めて一切経を結集したのであります。一切経というものは仏が一代の中に説か....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
社会から卑しまれていたので、それに対して声聞というような、迦葉・阿難・舎利弗など
仏弟子の尊者の称を付することはもったいないというくらいの感情から、彼らが人家の門....