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仏法
「仏法〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
仏法の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「尼提」より 著者:芥川竜之介
弟子《でし》たちなどと御一《ごいっ》しょにおることは出来ませぬ。」
「いやいや、
仏法《ぶっぽう》の貴賤を分たぬのはたとえば猛火《みょうか》の大小|好悪《こうお》....
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
俊寛《しゅんかん》云いけるは……神明《しんめい》外《ほか》になし。唯《ただ》我等が一念なり。……唯
仏法を修行《しゅぎょう》して、今度《こんど》生死《しょうし》を出で給うべし。源平....
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
人間ではない。十万年に一度あらわるる怖ろしい化生《けしょう》の者じゃ。この天竺の
仏法をほろぼして、大千《だいせん》世界を魔界の暗闇に堕《おと》そうと企《くわだ》....
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
非常な力を持っていると信じます。 また日蓮聖人は、インドから渡来して来た日本の
仏法はインドに帰って行き、永く末法の闇を照らすべきものだと予言しています。日本山....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
ず。生死禍福は、人情の私曲なるに随はず。天命歴然として遁るゝ処なし」とある。少し
仏法臭を帯びては居るが、秋霜烈日の如き遺言である。名高い桜井の訣別の際の教訓にし....
「開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
の冴を見よ、描く処の錦絵のごとく、黒髪山の山裾に血を流そうとしたのであった。が、
仏法僧のなく音覚束なし、誰に助けらるるともなく、生命生きて、浮世のうらを、古河銅....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
供養という事が行われる。海岸に祭壇を設けて供物を捧げ、僧を請じて経を読む。これを
仏法の方から観れば、平素漁夫によって、捕獲せらるる魚属の頓生菩提の祈りであり、兼....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
火水土の四葬の一つで、かの土には古くから行われていたものらしい。そしてその葬法が
仏法とともに我が国に伝わって、入唐求法の道照和尚によって始めて実行されたというこ....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
でない。最も必要なのは大乗教の仏典であります。しかるにその大乗教の仏典なるものは
仏法の本家なるインドには跡を絶って、今はネパールあるいはチベットに存在して居ると....
「西航日録」より 著者:井上円了
怪、穢風狂雨幾千年。 (古城は昔のままに恒河のほとりにあり、聞くところでは如来が
仏法を説いたところである。遺跡は荒れはてて、それもまた驚くにはあたらない。けがれ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
怨み、怒り、己の生涯に不平不満を持つことは常住となる。けれどもそれは、それまでの
仏法の教にしたがえばすべて堕獄の因である。如何に己の心を良く保とうとしても、ちい....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
ます。 大乗というのは何かと申しますと、一口に言いますれば、治生産業ことごとく
仏法にあらざるなしという大見解に立つ主張でありまして、消極的に隠遁して、独り清く....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
以上(別項「屠者考」参照)、神が肉や皮に触れたものをお嫌いになるという筈はない。
仏法が我が国に伝わり、殺生を忌み、血腥い事を嫌う様になっては、すでに大宝令にも斎....
「牛捨場馬捨場」より 著者:喜田貞吉
た。その牛は無論犠牲として神に供し、後にこれを食したものであるに相違ない。しかし
仏法の普及とともに牛馬を殺すことは罪業のことに深いものとして教えられた。「霊異記....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
司はもと兵部省の被管で、鷹を使って鳥を捕らせる事を掌るの役所であった。したがって
仏法の信仰から、この役所はしばしば廃せられたり、また復活したりしたことがあったが....