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「仮名垣魯文〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

仮名垣魯文の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
まる客の頭も思い思いだ。一方にはそこに置いてある新版物を見つけて当時評判な作者|仮名垣魯文の著わしたものなぞに読みふける客もあれば、一方には将棋をさしかけて置い....
佐竹の原へ大仏をこしらえたはなし」より 著者:高村光雲
う口上、一丈だけさばを読んで奈良の大仏と同格にしてしまいました。そこで口上看板を仮名垣魯文先生に頼み、立派な枠をつけ、花を周囲に飾って高く掲げました。こんな興行....
文学における今日の日本的なるもの」より 著者:宮本百合子
学が、その渾沌とした胎生期において、一方には福沢諭吉の「窮理図解」を持ち、他方に仮名垣魯文の「胡瓜遣」を持っていたということは、今日の文学の事情にまで連綿として....
今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
、日本の開化期文化・文学の複雑な胎生を見逃すことは出来ない。旧時代の文学的伝統は仮名垣魯文その他の戯作者の生きかたに伝え嗣がれており、維新と開化とに対して、江戸....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
ートルの詩の句が英語で引用されているのである。 開化期の文学は混沌としていて、仮名垣魯文のように江戸軟文学の脈を引いて、揶揄的に文明開化の世相風俗を描いた作者....
細木香以」より 著者:森鴎外
小僧と云った。想うに鳥羽屋の小僧で、容貌が奇怪であったからの名であろう。即ち後の仮名垣魯文である。 劇場は木挽町の河原崎座であった。贔屓の俳優は八代目団十郎で....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
悉く旧物を捨てて新らしきを求め出した時代である。『膝栗毛』や『金の草鞋』よりも、仮名垣魯文の『西洋道中膝栗毛』や『安愚楽鍋』などが持て囃されたのである。草双紙の....
諸国の玩具」より 著者:淡島寒月
で、明治初年の大ハイカラでした。それから面白いのは、父がゴム枕を持っていたのを、仮名垣魯文さんが欲しがって、例の覗眼鏡の軍艦の下を張る反古がなかった処、魯文さん....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
それと同時に、講談や人情話を脚色することも流行して来た。黙阿弥が二代目新七の頃、仮名垣魯文と共に葺屋町の寄席へ行ったことがある。そのとき高坐に上がって玉屋栄次(....
幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
う口上、一丈だけさばを読んで奈良の大仏と同格にしてしまいました。そこで口上看板を仮名垣魯文先生に頼み、立派な枠を附け、花を周囲に飾って高く掲げました。こんな興業....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
をありのままに見せるに過ぎないという、一種の冷罵を意味している名称で、絵入新聞に仮名垣魯文がこう書いたのが嚆矢であるとか伝えられている。いずれにしても、そうした....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
ばかりで、共に画を描き骨董を品して遊んでばかりいた。大河内子爵の先代や下岡蓮杖や仮名垣魯文はその頃の重なる常連であった。参詣人が来ると殊勝な顔をしてムニャムニャ....
葛飾土産」より 著者:永井荷風
ん》の筆で葛羅の井戸のいわれがしるされていた。 これは後に知ったことであるが、仮名垣魯文《かながきろぶん》の門人であった野崎左文《のざきさぶん》の地理書に委《....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
の嚆矢とす。 ○二月三日、『歌舞伎新報』第一号を発行す。編集者は久保田彦作にて、仮名垣魯文その補助たり。劇界唯一の機関雑誌として好劇家の間に歓迎せらる。この以前....